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天正二年十月――空いている道

播磨へ羽柴勢が入り始めてから、清盛館へ届く報告は一日に何度も変わるようになった。


宇野領へ侵入。


宇喜多方面へ迂回。


赤松領へ接近。


但馬からさらに兵が南下。


そして今度は、西のさらに向こうから知らせが飛び込んできた。


「出雲にて尼子衆、蜂起!」


少弐は思わず地図から顔を上げた。


「今?」


報告に来た虎衆の男が頷いた。


「旧領奪還を掲げ、旧臣が集まり始めているとのこと!」


黒田孝高がすぐに出雲の地図を求めた。


毛利に押さえ込まれていた尼子旧臣が、再び動き始めた。


それも、羽柴が播磨へ兵を入れたこの時期に。


偶然なのか。


誰かが働きかけたのか。


まだ分からない。


少弐は少しだけ考えると、報告してきた虎衆へ言った。


「もう西へ戻らなくていい」


男が顔を上げた。


「出雲は?」


「毛利が見る」


少弐の指が東へ戻った。


播磨。


さらにその東。


六甲。


「お前たちは六甲へ回れ」


シレトクも少弐を見る。


「みんな?」


「西を見ていた者から順番に戻せ」


尼子が動いた以上、毛利も無視できない。


羽柴も無視できない。


だが少弐にとって、今もっとも大事なのは播磨だった。


虎衆の目を遠くへ置いておく余裕は、もうない。


「山へ入れ」


少弐はシレトクに言った。


「六甲を見ろ。道という道を」


シレトクが頷く。


「また道?」


「今度は人も見ろ」


少弐は言った。


「前と違う。もう戦が始まった」



---


それから羽柴軍の動きは、さらに奇妙になった。


一方向へ集中しない。


吐き出すように兵が出てくる。


但馬から一手。


丹後から一手。


丹波から一手。


そして、それぞれが違う場所を目指した。


竹田城方面へ兵が動いたとの知らせが来た。


黒田が地図へ駒を置く。


「ここも押さえるつもりですな」


「但馬を完全に蓋する気か」


だが、その直後だった。


丹波方面から別の軍勢が動いた。


南西。


六甲方面。


少弐の顔から表情が消えた。


「来たか」


前回と同じ山。


しかし前回と同じ道を使うとは限らない。


だからこそ虎衆を戻した。


六甲の山中へ、小さな組が次々と入っていった。


ところが――


黒田が地図を見ながら、妙なことに気づいた。


「少弐殿」


「なんだ」


「摂津が静かです」


少弐も見る。


羽柴勢は各方面へ兵を出している。


但馬。


竹田。


播磨西部。


赤松方面。


丹波から六甲。


なのに、


摂津方面だけが不自然なほど空いていた。


「兵がいない?」


「少なくとも、こちらで掴んでいる限りでは」


少弐は地図を睨んだ。


兵庫津を狙うなら、摂津側から圧力を加えてもいい。


むしろ前回の戦を考えれば当然警戒すべき方面だった。


それなのに羽柴はそこへ兵を置かない。


「罠かな」


「分かりませぬ」


黒田も即答しなかった。


分からないことが一番怖かった。


秀吉本人はいまだ建部山。


兵だけが各方面へ散る。


そして一方向だけ空いている。


少弐は摂津のあたりに何も置かなかった。


敵の駒も。


味方の駒も。


空白のままにした。


「ここは触るな」


黒田が頷いた。


「虎衆にも?」


「見るだけだ。空いているからって出るな」


空いている道ほど、怖い。



---


そして播磨中央では、もう一つの問題が起きていた。


三木城。


黒田はすでに何度も使者を出していた。


羽柴軍を城下へ引きつけるな。


包囲される前に兵を抜け。


城を捨てる必要はない。


だが、退路だけは残せ。


ところが返事は変わらなかった。


> 「今度こそ羽柴を播磨より追い返す」




三木では戦支度が進んでいた。


前回の戦で傷ついた者たちほど、今回は退こうとしなかった。


一度は羽柴を押し返した。


ならば二度目もできる。


そう考えている。


黒田は返書を握りしめた。


「違う」


少弐が見る。


「何が」


「前と同じ羽柴ではありません」


黒田は珍しく苛立っていた。


「但馬をあれだけ早く片づけた。降る者には所領を残した。建部山から兵糧を動かし、今度は一か所ではなく各方面から入ってきている」


三木城の者たちは勇敢だった。


だが黒田が恐れているのは勇気の不足ではない。


勇気がありすぎることだった。


「もう一度、使者を出すか?」


少弐が尋ねた。


黒田は少し迷った。


そして頷いた。


「出します」


「何度目だ」


「届くまでです」


少弐は止めなかった。


だが、その使者にも同じ答えが返された。


退かぬ。


三木で戦う。


播磨の城として羽柴を受ける。


赤松も。


宇野も。


三木も。


それぞれが自分の土地で踏みとどまろうとしている。


少弐は地図を見ながら呟いた。


「みんな、播磨を守ろうとしてるんだよな」


黒田が答える。


「だから播磨全体が守れなくなる」


それが、この戦の最初の矛盾だった。



---


夜になっても清盛館の灯は消えなかった。


地図には、朝にはなかった駒が増えていた。


西では尼子が蜂起。


但馬では竹田城方面へ羽柴勢。


播磨西部には迂回軍。


丹波からは六甲へ向かう兵。


三木は徹底抗戦。


そして摂津だけが――


空いている。


少弐はその空白を長く見ていた。


「官兵衛」


「はい」


「秀吉は、まだ建部山か」


「そのようです」


少弐は苦笑した。


「本人は全然来ないのに、どんどん戦場が増えるな」


黒田は答えなかった。


少弐はシレトクを呼んだ。


「虎衆は六甲へ」


「うん」


「でも戦うな。見つけても、まだ撃つな」


「何を見る?」


少弐は地図を指した。


六甲。


そして、その隣に残された摂津の空白。


「来るところと、来ないところ。両方だ」


シレトクは頷いた。


羽柴軍は四方へ兵を吐き出している。


播磨の諸氏は、それぞれの土地で踏みとどまる。


尼子まで西で動き始めた。


それでも秀吉は動かない。


そして少弐にはまだ分からなかった。


なぜ秀吉が、摂津だけを空けているのか。

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