西と、さらに西
羽柴方の動きは、少しずつ形を持ちはじめた。
最初に戻ってきたのは、播磨北辺へ出していた虎衆だった。
シレトクは清盛館へ入ると、挨拶もそこそこに地図の前へ座った。
「人が増えている」
少弐が顔を上げた。
「どこだ」
「但馬へ向かう道」
シレトクは地図を指した。
一つではない。
丹後から西へ。
丹波から北西へ。
そして後方から建部山へ集まる荷。
兵そのものより、シレトクが気にしたのは荷駄だった。
米。
味噌。
馬。
矢。
縄。
鍬。
人夫。
それらが建部山へ集まり、そこから必要なところへ分けられている。
「秀吉は?」
「見ていない」
「やっぱりか」
少弐は眉を寄せた。
秀吉本人が前へ出たという報告は、今回もなかった。
代わりに別の名が増え始めた。
商人筋から持ち込まれた話を、黒田が読み上げる。
「佐久間の兵を見た、と」
少弐が顔を上げた。
「佐久間?」
「それから前田」
さらに尾張以来、織田家と縁の深い将たちの名がいくつか並んだ。
どれも羽柴の直臣ではない。
「借りたのか」
少弐が言った。
黒田も頷く。
「おそらくは信長公より」
信長自身は来ない。
だが、兵は貸した。
しかも羽柴だけでは揃えられない顔ぶれだった。
「大軍を一つ寄越したわけではないのだな」
「そのようです」
それぞれの将が兵を率いて西へ来る。
建部山を中心として配置され、その一部が但馬方面へ向かっている。
そこで黒田は地図の駒を動かした。
「どうやら、次は但馬です」
少弐は少し意外そうにした。
「播磨ではなく?」
「まだ」
シレトクが答えた。
その一言に、少弐はかえって嫌なものを感じた。
まだ。
秀吉は急いでいない。
丹波。
丹後。
そして但馬。
一つずつ播磨の北側を整理している。
しかも本人は建部山からほとんど動かず、諸将を動かしている。
少弐は地図上の建部山を見た。
「秀吉は何をしている?」
黒田が商人からの報告をもう一度確認した。
「兵糧の手配が多いようですな」
「兵糧?」
「米を集める場所を変えています。馬もです。丹後へ入った荷がそのまま但馬へ行くのではなく、一度集めてから振り分けられている」
シレトクも頷いた。
「道を直している者もいる。でも秀吉の旗は前にない」
少弐は黙った。
前の戦では秀吉本人の所在を追えば、ある程度は羽柴軍の重心が読めた。
今回は違う。
秀吉のいる場所と、戦っている場所が離れている。
「兵站を握っているのか」
黒田が言った。
「おそらく」
少弐は嫌そうな顔をした。
「成長するなあ、あいつ」
黒田は少し笑った。
「向こうも同じことを申しているかもしれませぬ」
「俺は成長してないぞ」
「それは存じませぬ」
そんなことを言っているところへ、別の書状が届いた。
今度は西ではなかった。
いや――
少弐から見れば、もっと西だった。
差出人を見て、少弐の顔から笑みが消えた。
「佐野殿だ」
もう一通ある。
「こちらは那須殿」
黒田も姿勢を正した。
二通は、ほとんど同じことを伝えていた。
九州で動きがあった。
島津。
大友。
そして、その間にいる相良と阿蘇。
南九州から勢力を伸ばそうとする島津と、九州北部から影響力を維持しようとする大友。
その両者の間で、相良・阿蘇を巡る緊張が急速に高まっているという。
単なる国境争いではない。
使者が行き交い、調略が始まり、互いの勢力圏へ探りが入る。
小さな衝突も起きた。
佐野からの書状には、
> 「もはや偵察のみとは言い難し」
とあった。
那須の報告はさらに簡潔だった。
> 「島津と大友、衝突す」
少弐は二通を並べた。
それから目の前の地図を見る。
但馬では羽柴が動く。
その背後には信長。
播磨では自分たちが備える。
さらに西では毛利がいる。
そして海を越えれば、九州で島津と大友がぶつかり始めた。
少弐は頭を掻いた。
「一枚では足りんな」
黒田が怪訝そうにする。
「何がです」
「地図だ」
少弐は播磨の地図を端へ寄せた。
「九州を出してくれ」
別の地図が広げられる。
豊後。
肥後。
薩摩。
日向。
相良。
阿蘇。
黒田も少弐も、しばらく黙ってそれを見た。
少弐が最初に指したのは、大友ではなかった。
阿蘇でもない。
相良でもない。
海だった。
「那須殿はどこまで動ける?」
「四国からなら、海を渡りますな」
「佐野殿は?」
「畿内を離れれば、それだけ織田への備えが薄くなります」
「だよな」
少弐は唸った。
北では秀吉が、兵站を整えながら但馬へ兵を出している。
西の海の向こうでは、島津と大友がぶつかり始めた。
どちらも、まだ少弐たちの戦ではない。
だからこそ厄介だった。
シレトクが二枚の地図を見比べた。
「どっちへ行く?」
少弐は即答した。
「どっちにも行かん」
そして播磨の地図を自分の前へ戻した。
「今はな」
秀吉が何を仕上げようとしているのか、まだ見えていない。
九州の衝突も、まだどこまで大きくなるか分からない。
だから動かない。
だが、見ることだけはやめない。
「渡辺にもう一度伝えろ。山城だけじゃない。九州へ出入りする使者も拾え」
黒田が頷いた。
「大友筋も?」
「島津もだ」
少弐は二枚の地図の間へ筆を置いた。
播磨の戦が始まる前から――
西国全体が、少しずつ動き始めていた。と、さらに西
羽柴方の動きは、少しずつ形を持ちはじめた。
最初に戻ってきたのは、播磨北辺へ出していた虎衆だった。
シレトクは清盛館へ入ると、挨拶もそこそこに地図の前へ座った。
「人が増えている」
少弐が顔を上げた。
「どこだ」
「但馬へ向かう道」
シレトクは地図を指した。
一つではない。
丹後から西へ。
丹波から北西へ。
そして後方から建部山へ集まる荷。
兵そのものより、シレトクが気にしたのは荷駄だった。
米。
味噌。
馬。
矢。
縄。
鍬。
人夫。
それらが建部山へ集まり、そこから必要なところへ分けられている。
「秀吉は?」
「見ていない」
「やっぱりか」
少弐は眉を寄せた。
秀吉本人が前へ出たという報告は、今回もなかった。
代わりに別の名が増え始めた。
商人筋から持ち込まれた話を、黒田が読み上げる。
「佐久間の兵を見た、と」
少弐が顔を上げた。
「佐久間?」
「それから前田」
さらに尾張以来、織田家と縁の深い将たちの名がいくつか並んだ。
どれも羽柴の直臣ではない。
「借りたのか」
少弐が言った。
黒田も頷く。
「おそらくは信長公より」
信長自身は来ない。
だが、兵は貸した。
しかも羽柴だけでは揃えられない顔ぶれだった。
「大軍を一つ寄越したわけではないのだな」
「そのようです」
それぞれの将が兵を率いて西へ来る。
建部山を中心として配置され、その一部が但馬方面へ向かっている。
そこで黒田は地図の駒を動かした。
「どうやら、次は但馬です」
少弐は少し意外そうにした。
「播磨ではなく?」
「まだ」
シレトクが答えた。
その一言に、少弐はかえって嫌なものを感じた。
まだ。
秀吉は急いでいない。
丹波。
丹後。
そして但馬。
一つずつ播磨の北側を整理している。
しかも本人は建部山からほとんど動かず、諸将を動かしている。
少弐は地図上の建部山を見た。
「秀吉は何をしている?」
黒田が商人からの報告をもう一度確認した。
「兵糧の手配が多いようですな」
「兵糧?」
「米を集める場所を変えています。馬もです。丹後へ入った荷がそのまま但馬へ行くのではなく、一度集めてから振り分けられている」
シレトクも頷いた。
「道を直している者もいる。でも秀吉の旗は前にない」
少弐は黙った。
前の戦では秀吉本人の所在を追えば、ある程度は羽柴軍の重心が読めた。
今回は違う。
秀吉のいる場所と、戦っている場所が離れている。
「兵站を握っているのか」
黒田が言った。
「おそらく」
少弐は嫌そうな顔をした。
「成長するなあ、あいつ」
黒田は少し笑った。
「向こうも同じことを申しているかもしれませぬ」
「俺は成長してないぞ」
「それは存じませぬ」
そんなことを言っているところへ、別の書状が届いた。
今度は西ではなかった。
いや――
少弐から見れば、もっと西だった。
差出人を見て、少弐の顔から笑みが消えた。
「佐野殿だ」
もう一通ある。
「こちらは那須殿」
黒田も姿勢を正した。
二通は、ほとんど同じことを伝えていた。
九州で動きがあった。
島津。
大友。
そして、その間にいる相良と阿蘇。
南九州から勢力を伸ばそうとする島津と、九州北部から影響力を維持しようとする大友。
その両者の間で、相良・阿蘇を巡る緊張が急速に高まっているという。
単なる国境争いではない。
使者が行き交い、調略が始まり、互いの勢力圏へ探りが入る。
小さな衝突も起きた。
佐野からの書状には、
> 「もはや偵察のみとは言い難し」
とあった。
那須の報告はさらに簡潔だった。
> 「島津と大友、衝突す」
少弐は二通を並べた。
それから目の前の地図を見る。
但馬では羽柴が動く。
その背後には信長。
播磨では自分たちが備える。
さらに西では毛利がいる。
そして海を越えれば、九州で島津と大友がぶつかり始めた。
少弐は頭を掻いた。
「一枚では足りんな」
黒田が怪訝そうにする。
「何がです」
「地図だ」
少弐は播磨の地図を端へ寄せた。
「九州を出してくれ」
別の地図が広げられる。
豊後。
肥後。
薩摩。
日向。
相良。
阿蘇。
黒田も少弐も、しばらく黙ってそれを見た。
少弐が最初に指したのは、大友ではなかった。
阿蘇でもない。
相良でもない。
海だった。
「那須殿はどこまで動ける?」
「四国からなら、海を渡りますな」
「佐野殿は?」
「畿内を離れれば、それだけ織田への備えが薄くなります」
「だよな」
少弐は唸った。
北では秀吉が、兵站を整えながら但馬へ兵を出している。
西の海の向こうでは、島津と大友がぶつかり始めた。
どちらも、まだ少弐たちの戦ではない。
だからこそ厄介だった。
シレトクが二枚の地図を見比べた。
「どっちへ行く?」
少弐は即答した。
「どっちにも行かん」
そして播磨の地図を自分の前へ戻した。
「今はな」
秀吉が何を仕上げようとしているのか、まだ見えていない。
九州の衝突も、まだどこまで大きくなるか分からない。
だから動かない。
だが、見ることだけはやめない。
「渡辺にもう一度伝えろ。山城だけじゃない。九州へ出入りする使者も拾え」
黒田が頷いた。
「大友筋も?」
「島津もだ」
少弐は二枚の地図の間へ筆を置いた。
播磨の戦が始まる前から――
西国全体が、少しずつ動き始めていた。




