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三人の地図、その外で

建部山城へ羽柴秀吉が入った。


それからというもの、秀吉本人についての報せは、かえって少なくなった。


丹後で兵が動いた。


丹波との道を人馬が行き来するようになった。


兵糧が運び込まれた。


羽柴秀長が西へ向かうらしい。


信長の許しを得て、羽柴と縁のある諸将が少しずつ集まり始めている。


だが、秀吉がどこへ出たという話だけはなかった。


建部山にいる。


ただ、それだけだった。


少弐はそれが妙に気に入らなかった。


「前より嫌だな」


清盛館に広げた地図を見ながら言うと、黒田孝高も否定しなかった。


「動きませぬからな」


「動かないなら楽だろう」


「羽柴殿だけを見れば」


黒田は丹波、丹後を指した。


「代わりに、周りが動いております」


それが問題だった。


少弐は前の戦で懲りていた。


秀吉が来てから守るのでは遅い。


どこから来るか分かってから兵を置くのでも遅い。


ならば先に、見る場所と止める場所を作る。


「須磨は外せない」


少弐が言った。


前回、最後に羽柴軍を受け止めた土地である。


東へ抜ければ兵庫津。


北には六甲。


海沿いの狭い道。


ここを失えば、兵庫津そのものが戦場になる。


「それから姫路」


黒田が頷く。


播磨中央部を見るためだった。


そして少弐の指は、そのまま南へ動いた。


海へ出る。


「家島」


黒田が少弐を見た。


「やはり使われますか」


「使えるならな」


城を新しく築くとは、まだ決めなかった。


そんなことをすれば羽柴にも分かる。


それより既にあるものを使う。


寺。


堂。


古い砦。


番所。


高台。


船を寄せられる浜。


井戸。


蔵。


人が何日か籠もれる場所。


それらを調べる。


「寺を借りよう」


少弐は言った。


「奪うのではなく?」


「だからお前に頼むんだ」


黒田は苦笑した。


少弐が直接行けば、話がどこへ転ぶか分からない。


黒田なら寺領や在地の事情まで調べて話をつける。


須磨。


姫路。


家島。


それぞれで使えそうな寺を探し、まず寄進する。


傷んだ堂があれば直す。


塀が崩れていれば修繕する。


井戸が悪ければ掘り直す。


道が悪ければ整える。


蔵がなければ造る。


その代わり、ひとつだけ願う。


> 「有事の際、兵を置かせていただきたい」




恒常的な駐屯ではない。


寺を城にするわけでもない。


平時には寺が使う。


だが戦になれば、兵庫津評定の兵が入る。


兵糧も置ける。


傷兵も運び込める。


物見も置ける。


特に家島なら海上監視にも使えた。


「三つ、頼む」


少弐は黒田へ言った。


「須磨、姫路、家島。どれも城にする必要はない。ただ、明日兵を置けと言われても困らぬようにしてくれ」


「承知しました」


黒田は地図を畳まず、そのまま持っていった。


少弐は次に渡辺を呼んだ。


「山城へ行け」


渡辺は少し意外そうな顔をした。


「丹後ではなく?」


「丹後は見れば分かる」


少弐は答えた。


「見えない方を見てこい」


羽柴秀吉が何をしているかより、その背後にいる織田信長が何を許したか。


どの将が西へ向かう。


どれほどの兵糧が動く。


誰が羽柴への加勢を命じられた。


京では何が噂されている。


山城なら、人も書状も商人も通る。


「羽柴だけ追うな」


少弐は念を押した。


「信長の周りを見ろ。誰が急にいなくなったか。誰が西へ行ったか。それを拾ってくれ」


渡辺は頷いた。


「戦になりますか」


少弐は少し考えた。


「分からん」


それから付け加えた。


「分からんから頼む」


最後に呼んだのが、シレトクだった。


こちらには細かな説明はいらなかった。


「虎衆を動かしてくれ」


シレトクの表情が変わった。


「どこへ?」


「播磨全部」


少弐虎衆を一か所へ集めるつもりはなかった。


むしろ散らす。


三人。


五人。


十人。


山道へ。


峠へ。


村へ。


街道へ。


川筋へ。


海岸へ。


ただし、羽柴方と戦ってはならない。


見つけても追わない。


敵の物見らしき者がいても、無理に捕らえない。


「見るだけでいい」


少弐は言った。


「兵の数より、道を見ろ」


シレトクが首を傾けた。


「道?」


「急に人が増えた道。草が刈られた道。橋を直している場所。米を買っている村。馬が増えたところ。そういうのを教えてくれ」


シレトクは、それなら分かったという顔をした。


北方の旅でも同じだった。


人を見るより、痕跡を見る。


何が通った。


どちらへ向かった。


どれほど前か。


虎衆には、それができる者が多かった。


「戦うなよ」


少弐はもう一度言った。


「まだ戦ではない」


「まだ?」


シレトクが聞き返した。


少弐は答えなかった。


清盛館へ戻ると、地図だけが残っていた。


須磨。


姫路。


家島。


その三か所に、小さな印をつける。


さらに播磨一帯へ虎衆を散らす。


山城には渡辺。


北には羽柴。


海には西国の船。


少弐はしばらく地図を眺めた。


秀吉が何を考えているのかは分からない。


建部山から動かない理由も分からない。


ただ一つだけ分かる。


前と同じ戦にはならない。


ならばこちらも、前と同じ守り方をしてはいけなかった。


少弐は筆を置いた。


まだ兵は集めない。


まだ陣も敷かない。


まだ誰にも戦が始まったとは言わせない。


ただ、須磨で寺を直し、姫路で蔵を整え、家島で高台を探す。


山城では渡辺が人の流れを見る。


播磨の山野では虎衆が歩き始める。


秀吉が建部山で地図を描いていることを、少弐は知らない。


だがそのころ播磨でもまた――


別の地図が、静かに描かれ始めていた。

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