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三人の地図――建部山の線引

建部山城の一室には、また地図が広げられていた。


羽柴秀吉、羽柴秀長、竹中半兵衛。


三人は先ほどからほとんど席を立っていない。


播磨を中心として、その北には但馬、北東には丹波、そのさらに北には丹後。


秀吉は播磨の西から東へ伸びていた指を止めると、今度は北へ戻した。


「播磨を攻める前に、これを片づける」


秀長が兄の指先を見る。


「丹波ですか」


「丹波だけではない」


秀吉の指が西へ動く。


但馬。


そして北へ。


丹後。


「全部じゃ」


半兵衛が黙って地図を見た。


秀吉はもう一枚、より細かな絵図を持ってこさせた。


そこには城だけではなく、村、寺、谷、川、峠まで書き込まれている。


「播磨がどこから始まるのか、全部調べさせろ」


秀長が顔を上げた。


「播磨を攻めるために、播磨を調べるので?」


「そうじゃ」


秀吉は当然のように答えた。


「播磨へ入ってから、ここは丹波じゃ、ここは但馬じゃと言われて軍を止めるのは馬鹿らしい。逆も同じじゃ」


指先が山中を進む。


「この村は?」


近習が帳面を開いた。


「播磨とも丹波とも申す者がおりまする」


「寺は?」


「丹波側との縁が強うございます」


「年貢は」


「昔は東へ納めた記録もあるとのこと」


秀吉はそこへ印を付けた。


「では、こちら側じゃ」


次。


「この谷は?」


「播磨の者が使っておりまする。ただし山向こうの村との入会がございます」


「ならまだ播磨とは決められぬ」


また印を付ける。


秀長がようやく気づいた。


「兄者。国境を決めたいのではありませんな」


秀吉が笑った。


「当たり前じゃ。わしに国境を決める権があるものか」


半兵衛も小さく笑った。


だが、秀吉がしていることは、それよりずっと現実的だった。


軍をどこまで出しても「播磨侵攻」と断定されないか。


それを調べている。


古い寺領。


年貢の納め先。


山仕事をする村。


水場。


峠。


尾根。


城主への夫役。


何十年も前の争論まで持ち出した。


そして、


「ここまでは丹波とも言える」


「ここまでは但馬とも言える」


という場所を一つずつ拾っていった。


やがて地図の上に奇妙な線が現れた。


まっすぐではない。


山を避け、谷へ入り、また尾根へ上がる。


しかし秀吉にはそれでよかった。


「ここまで下がる」


秀長が驚いた。


「兵を?」


「そうじゃ」


播磨へ食い込ませていた部隊を、一度この線まで引かせる。


城もすべて保持しようとはしない。


守る価値の薄い前進拠点からは兵を抜く。


荷駄も戻す。


負傷兵も下げる。


疲弊した部隊を再編する。


「播磨を捨てるのですか」


秀長が尋ねると、秀吉は首を振った。


「逆じゃ」


そして地図の播磨を掌で叩いた。


「もう一度取るために引く」


半兵衛が秀吉を見る。


「須磨まで押した戦は、終わりということですな」


「終わりじゃ」


秀吉はあっさり認めた。


あの戦いは、もう続けない。


播磨国人を徹底的に痛めつけた。


三木も、別所も、宇野赤松も傷ついた。


少弐たちも須磨まで追い詰めた。


だが、そこから先が悪すぎた。


六甲。


須磨。


兵庫津。


海。


少弐と黒田。


あそこへ西から正面衝突する戦は、もうやらない。


「次は同じ戦をせぬ」


秀吉は言った。


秀長が尋ねる。


「では、どうなさる」


秀吉の指が北へ動いた。


「こっちから入る」


丹波。


さらに但馬。


そして丹後。


半兵衛が地図を見つめる。


秀吉の考えが見えてきた。


西から播磨を横断して須磨へ押し込むのではない。


まず北側を整える。


丹波を固める。


但馬との街道を押さえる。


丹後を制圧する。


そこから播磨へ入る峠道を調べ尽くす。


一か所ではない。


何本も。


秀吉は秀長を見る。


「小一郎」


「はい」


「丹後を任せる」


秀長は少しだけ姿勢を正した。


「どこまで」


「全部とは言わん」


秀吉は建部山城から北へ続く土地を指した。


「まず道を取れ。城はその後でよい」


「承知」


「急ぐな」


秀長が兄を見る。


「珍しいことを申されますな」


秀吉は鼻で笑った。


「播磨で覚えた」


城を落としても、後ろの道が切れれば意味がない。


敵を追い詰めても、敵の補給地の前まで押せばこちらが苦しくなる。


少弐たちとの戦で、嫌というほど思い知らされた。


「丹後を取るために丹後を攻めるのではない」


秀吉が言った。


「播磨を取るために丹後を取る」


そして但馬を指す。


「山名にも働いてもらう」


丹波を指す。


「こちらも整理する」


半兵衛が静かに尋ねた。


「明智殿との調整が要りますな」


「する」


秀吉は即答した。


「今度は勝手に道を使わぬ。誰がどこまで兵を置くか、先に決める」


秀長が兄を見た。


播磨での戦い以前なら、ここまで細かく地図と帳面を睨んでいただろうか。


秀吉は変わっていた。


いや、負けたからではない。


止められたから学んだのである。


やがて秀吉は墨を取った。


地図の上へ一本の線を引く。


丹波から但馬へ。


山々を縫いながら続く、不格好な線。


「ここを戦の始まりにする」


秀長が聞いた。


「終わりではなく?」


「始まりじゃ」


秀吉は筆を置いた。


「ここまで軍を引く。ここから先へは、まだ行かぬ」


そして播磨を見る。


「だが、次に越えるときは――」


少し笑った。


「どこへ出るか、向こうには分からぬようにする」


半兵衛も地図を見た。


北から三本。


四本。


あるいはもっと。


播磨へ落ちる道がある。


少弐と黒田がすべてを守ろうとすれば、兵を散らさなければならない。


守らなければ、どこかから羽柴軍が入る。


そのための準備だった。


戦は一度、引く。


兵も引く。


前線も縮める。


だが、戦争そのものを諦めたわけではない。


むしろ逆だった。


建部山城で三人が引いていたのは、国境ではない。


次の戦場だった。


秀吉は最後に播磨を指先で叩いた。


「今度は、ここを一つの国として攻めるぞ」


建部山の外では、何も始まっていなかった。


兵もまだ動いていない。


烽火も上がっていない。


だが三人の地図の上では――


次の播磨攻めは、もう始まっていた。

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