迫りくる西海からの脅威
さらに氏治は、鹿島の報告を聞きながら、海図ではなく帳面の方へ目を落とした。
「……海の脅威は船だけではないな。」
鹿島が静かに頷く。
「はい。銭の流れもまた、脅威にございます。」
氏治は筆で銀という字を書いた。
「明では、銀が国の外へ流れ出し始めている。いや、正確には銀で物を買わねばならぬ仕組みに呑まれつつある。」
評定の空気が少し重くなった。
氏治は続ける。
「西日本でも似たような流れがある。堺、博多、石見、南蛮船。大きな商いになるほど、銭ではなく銀を求められる。」
商販方に加わった博多商人が、恐る恐る口を開いた。
「その通りにございます。遠国との取引では、布や米よりも、銀の方が話が早うございます。」
鹿島も続ける。
「南海でも同様です。香料、硝石、鉛、銅、家畜、船材、異国の職人――いずれも継続して買い付けるなら、銀払いを求められる場面が増えます。」
氏治は苦い顔をした。
「それがきつい。」
真壁が首を傾げる。
「銀で払えばよいのではありませぬか。」
氏治は首を横に振った。
「払う銀があるうちはよい。だが銀は食えぬ。植えれば増えるものでもない。」
「銀で買う商いに頼りすぎれば、坂東の外へ富が流れる。」
「そして相手が銀でしか売らぬと言い出せば、こちらは欲しい物を買うたびに腹を切るようなものだ。」
評定の間が静まり返る。
氏治はさらに言った。
「坂東はまだ石見銀山を抱えているわけではない。明や西国と同じ土俵で銀を積み合えば、必ず負ける。」
鹿島は深く頷いた。
「ゆえに商販方では、銀払いを最終手段とし、なるべく坂東産品との交換を基本にしたいと考えております。」
「陶器、鉄砲、刀、鎧、紙、酒、干物、塩、加工肉、薬種、木材、そして職人仕事。」
「銀ではなく、坂東でしか継続して出せぬ品で支払うべきかと。」
氏治は頷いた。
「よい。」
「銀は血だ。流せば弱る。」
「だが品物は筋肉だ。鍛えれば増える。」
その言葉に、治彦が小さく息を呑んだ。
氏治は続ける。
「国際通貨として銀を提示されるのは避けられぬ。だが、坂東が銀だけを財布にしてはならぬ。」
「一、銀の支払いは硝石、鉛、船材、特殊な技術者など、代替不能なものに限る。」
「一、通常の交易は坂東産品との交換を優先する。」
「一、商販方は銀を払う商いではなく、銀を得る商いを探す。」
「一、見聞方は各地で何が高く売れ、何が銀に替わるかを調べる。」
鹿島が頭を下げる。
「承知いたしました。」
氏治は最後に、銀の字へ線を引いた。
「海へ出るということは、異国の富を得ることでもあるが、異国の仕組みに呑まれることでもある。」
「坂東は銀に使われる国ではなく、銀を使う国になる。」
その一言で、評定の空気は引き締まった。
水牛、船団、ブルネイ、シンガポール、ポルトガル。
海の話は、いつの間にか坂東そのものの命運を左右する、銭と富の話へと変わっていた。




