傷ついた仏の帰る山
六月。
有馬から兵庫津へ戻った少弐は、南方から持ち帰った荷をようやく本格的に整理し始めた。
香木。
寺院の記録。
拓本。
写生。
ボロブドゥールで書きためた覚書。
アユタヤの寺院についての記録。
それらに混じって、ひときわ扱いの難しい荷があった。
傷だらけの仏像である。
南海の寺院跡から運び出したものだった。
腕の一部を欠き、顔にも傷がある。表面もところどころ剥がれている。
美しい仏像を持ち帰ったのではない。
壊れ、それでも捨てられずに残っていた仏を連れて帰ってきたのである。
もう一つあった。
沈没船から引き揚げられた、古い朝鮮の仏教画だった。
海水と長い年月に傷められ、完全な姿ではない。
少弐は二つを並べて眺めた。
「約束したからな」
以前、比叡山から求められたのは、ただ珍しいだけではない、見る者が思わず手を合わせるような「神々しいもの」だった。
少弐は考えた末、この二つを比叡山へ持っていくことにした。
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比叡山では、少弐が本当に戻ってきたこと自体を面白がられた。
「ずいぶん遠くまで行かれたそうですな」
「ジャワまで」
「そこからさらにシャムへ行きました」
「……相変わらずですな」
僧は半ば呆れていた。
だが荷が開かれると、その表情が変わった。
最初に現れたのは、傷ついた仏像だった。
誰もすぐには口を開かなかった。
少弐も説明を急がなかった。
やがて僧が近づく。
欠けた部分を見る。
傷を見る。
像の顔を見る。
「これを……南海から?」
「はい」
少弐は、見つけたときのことを説明した。
どのような場所にあったか。
周囲に何が残っていたか。
現地で聞いた話。
そして、可能な限り壊さないよう運んできたこと。
続いて古い仏教画を出した。
「こちらは朝鮮のものと思われます」
「どちらで?」
「沈没船です」
僧たちは今度こそ顔を見合わせた。
海底に眠っていた仏画。
南海で傷ついた仏。
どちらも新品の宝物ではない。
しかし長い旅を経て比叡山まで来た。
以前の約束通り、寺側は買い取ると申し出た。
「相応の値をお支払いしましょう」
ところが少弐は首を横に振った。
「値はいりません」
僧が少し驚いた。
「しかし、これを運ぶだけでも相当な――」
「商いとして持ってきたものではありません」
少弐は仏像を見る。
「代わりに、一つだけお願いがあります」
「なんでしょう」
「俺がここへ来たときは、いつでも見せてください」
僧はしばらく少弐を見た。
「それだけで?」
「それだけです」
売るのではない。
かといって、自分の屋敷へ飾るつもりもない。
少弐にとっては、旅の途中で出会ったものだった。
だから時々、無事でいるか見に来られれば、それでよかった。
僧は静かに頷いた。
「承知しました」
少弐はようやく笑った。
「では、お願いします」
しかし話はそこで終わらなかった。
少弐は別に用意していた銭を出した。
今度はかなりの額だった。
「これは?」
「布施です」
先ほど値はいらないと言った男が、今度は自分から金を出している。
僧が不思議そうにする。
少弐は傷ついた仏像を見た。
「この仏のために、念仏をお願いしたい」
「仏のために?」
「あまりに傷ついている」
少弐は欠けた腕を見る。
「何があったのか、俺には分かりません」
戦だったのか。
寺が捨てられたのか。
人に壊されたのか。
長い年月がそうしたのか。
「だから、せめてここまで来たことを仏に知らせてやってください」
僧は少弐を見た。
少弐は手を合わせる。
「もう海を渡らなくてよい。もう壊されることもない。ここで休んでよい、と」
しばらくして僧は深く頷いた。
その日の夕刻。
比叡山の堂に、傷ついた異国の仏が置かれた。
その前へ僧たちが集まった。
少弐も末席に座った。
念仏が始まった。
一人。
また一人。
やがていくつもの声が重なる。
少弐は目を閉じた。
南海で見た寺院。
ボロブドゥール。
アユタヤ。
大都。
白蓮寺。
そして長い海路。
仏像がどこから来たのか。
誰が造ったのか。
何人が手を合わせたのか。
少弐にはすべては分からない。
ただ、この像が長い時間を経て、いま比叡山にいることだけは確かだった。
念仏が山中に響く。
少弐は傷ついた仏へ深く頭を下げた。
買値はいらなかった。
所有する必要もなかった。
ただ、ときどき会いに来られればよい。
南海から連れてきた傷だらけの仏には、この山で静かに休んでもらう。
それが少弐にとって、比叡山との約束を果たすということだった。




