鐘丸と平家物語
次男の名が決まると、少弐は親しい者たちへ知らせを出した。
男子が無事に生まれたこと。
母子ともに元気であること。
そして幼名を鐘丸としたこと。
大々的な披露ではない。親しい者への簡単な知らせだった。
ところが数日すると、妙なことが起こり始めた。
贈り物が届く。
それ自体はありがたい。
問題は中身だった。
最初に届いたのは屏風だった。
「ほう」
少弐は喜んで広げた。
描かれているのは――平家物語の一場面である。
「……なぜ?」
次に絵巻が届いた。
これも平家物語。
さらに別の者から平家ゆかりの絵。
また平家。
また清盛。
しまいには沙羅双樹を描いた屏風まで届いた。
少弐は首を傾げた。
「流行っておるのか?」
誰も答えなかった。
ライラは贈り物の山を眺めている。
「あなたが好きだと思われているんじゃないか?」
「平家物語を?」
「ああ」
「なぜだ」
ライラにも分からない。
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そこへ今井宗久が祝いに訪れた。
「少弐殿、このたびはまことにおめでとうございます」
「ありがとうございます」
宗久からも包みを渡された。
少弐は礼を言って開く。
本だった。
題を見る。
『平家物語』。
少弐はしばらく黙った。
まただ。
「宗久殿」
「はい」
「一つ、聞いてよろしいか」
「もちろん」
少弐は本を持ち上げた。
「なぜ平家物語なのです?」
「……えっ?」
宗久が固まった。
今度は少弐が困る。
「いや、ありがたいのですが。皆が平家物語の屏風だの絵巻だのをくださるので」
宗久は少弐を見る。
少弐も宗久を見る。
「……少弐殿」
「はい」
「狙ってお付けになったのでは?」
「何を?」
「ですから、御子息のお名前ですよ」
少弐はますます分からない。
「鐘丸が?」
宗久は首を振った。
「鐘丸だけではありません」
「では何です」
宗久は指を一本立てた。
「まず長男の御名」
「雲丸か」
「異国名のほうです」
少弐の顔が止まった。
「……サラーフ」
「そう。サラーフ」
宗久は続ける。
「そして此度お生まれになった次男が――」
「鐘丸」
「そうです」
少弐はまだ分からない。
宗久はとうとう笑い始めた。
「少弐殿。御自分のお住まいは?」
「清盛館です」
「兵庫津ですね?」
「そうです」
「そこで長男がサラーフ、次男が鐘丸」
宗久は両手を広げた。
「これで平家物語を連想するなというほうが無理でしょう!」
「……?」
宗久は平家物語を開いた。
「祇園精舎の鐘の声――」
そこで少弐の顔が変わり始めた。
「諸行無常の響きあり」
さらに宗久は続けた。
「沙羅双樹の花の色――」
少弐が固まった。
宗久が長男を指すような仕草をする。
「サラーフ」
そして次男。
「鐘丸」
沈黙。
少弐はようやく理解した。
「……待て」
宗久はもう笑っている。
「サラーフはサラディンから取った名です」
「そんなことは皆知りません!」
「鐘丸はアユタヤの寺で見た大鐘から――」
「それも知りません!」
宗久は腹を抱えた。
「外から見れば、清盛館に住む少弐殿が、長男をサラーフ――沙羅、次男を鐘丸――鐘ですぞ!」
少弐は額へ手を当てた。
言われてみればひどい。
沙羅。
鐘。
しかも清盛館。
兵庫津。
宗久はまだ続ける。
「それだけではありませんぞ」
少弐は嫌な顔をした。
「まだあるのですか」
「少弐殿は兵庫津を整備なされた」
「しました」
「海運を重んじる」
「それは必要だからです」
「異国との交易を盛んにする」
「商売ですから」
「清盛館を本拠にしている」
「最初からあったからです」
「長男サラーフ」
「サラディンです」
「次男鐘丸」
「アユタヤです」
宗久は満面の笑みで言った。
「そして巷では――」
少し間を置く。
「少弐殿は平清盛公を崇拝していると持ちきりですぞ」
少弐は天井を見た。
「……全部偶然だ」
「偶然でしょうな」
「本当に偶然なのです」
「ええ、ええ」
宗久はまったく信じていない顔で頷く。
そこへライラが鐘丸を抱いてやってきた。
「あなた。また平家か?」
「また平家だ」
「今度は何をもらった」
「本だ」
ライラは題を見る。
「またこれか」
宗久は笑いながらライラにも説明した。
清盛館。
兵庫津。
長男サラーフ。
沙羅双樹。
次男鐘丸。
祇園精舎の鐘。
ライラはしばらく考えた。
そして少弐を見る。
「……あなた、狙ったのか?」
「ライラまで言うな」
宗久が声を上げて笑った。
鐘丸は母の腕の中で、相変わらず少弐によく似た困り眉をしている。
少弐は息子を見る。
「おぬしの名はアユタヤの鐘からだ」
次に、どこかで藤吉郎を追いかけている雲丸の声が聞こえる。
「兄のサラーフも沙羅双樹ではない。サラディンだ」
誰に弁明しているのか分からなくなってきた。
宗久は笑いながら平家物語を少弐へ差し出した。
「まあ、これだけ揃ったのです」
「何がです」
「一度くらい最初からお読みになってはいかがです?」
少弐は本を見る。
周囲を見る。
平家物語の屏風。
絵巻。
沙羅双樹を描いた品。
そして清盛館そのもの。
「……読むか」
結局、受け取った。
こうして少弐本人の意図とはまったく関係なく、
清盛館に住み、兵庫津を栄えさせ、長男を「沙羅」、次男を「鐘」と暗示する名にした男。
という妙に出来すぎた話が完成した。
そして兵庫津と堺では、
「少弐冬明は、よほど清盛公がお好きらしい」
という噂が、ますますもっともらしく語られるようになった。




