大都の墓
大都へ入った少弐が最初に向かったのは、役所でも王宮でもなかった。
寺だった。
スリフォンを匿っていた寺の老僧が、紹介状を書いてくれていたのである。
案内人はそれを大切そうに懐へ入れ、
「まずここへ参りましょう」
と言った。
連れていかれた先を見て、少弐は足を止めた。
「……大きいな」
これまでシャムで見てきた寺とは規模が違った。
幾重にも建物が並び、その向こうに高い仏塔がそびえている。僧侶だけでもどれほどいるのか分からない。
大都でも最大級の寺院だった。
少弐はしばらく建物を見上げていた。
ボロブドゥールでは石そのものが山になっていた。
ここでは都の中に仏の世界が築かれている。
「泊まれるのか?」
案内人は紹介状を示した。
「数日ならば、と」
「ありがたい」
少弐はジャワから持ってきた香を寺へ納めた。
日本から来た奇妙な旅人であり、寺院や古い伝承を調べながら旅をしていることも説明してもらう。
すると寺側も珍しがった。
その日はもう父親探しをせず、境内を案内してもらうことになった。
少弐に異存はなかった。
むしろ喜んだ。
仏像を見る。
壁画を見る。
戦の際に傷ついた場所を見る。
僧に由来を尋ねる。
「これはいつ建てられた」
「こちらの塔は?」
「戦のとき僧はどこへ逃げた」
また質問が始まった。
案内人は早くも少し疲れていた。
やがて境内の奥へ進んだ。
そこには華やかな堂宇とは違う、静かな場所があった。
僧や寺に縁の深かった者を弔う場所だという。
小さな塔や墓標が並んでいる。
少弐は一つ一つを珍しそうに見た。
墓の形まで日本とは違う。
「これは僧の墓か」
「こちらは?」
案内人が説明する。
高僧。
寺へ土地を寄進した者。
戦で亡くなった者。
寺に庇護された者。
少弐は何気なく歩いていた。
そして、一つの墓の前を通り過ぎた。
二、三歩進む。
止まった。
戻った。
墓を見る。
「……待て」
案内人が振り返る。
少弐は懐へ手を入れた。
折り畳んだ紙を出す。
そこには、スリフォンから教えられた父の名が書かれていた。
紙を見る。
墓を見る。
もう一度紙を見る。
「読んでくれ」
案内人が墓標を見る。
黙った。
少弐はその顔を見る。
「どうした」
案内人は答えなかった。
代わりに近くにいた僧を呼んだ。
二人で文字を確認する。
短いやり取りが続いた。
そして案内人が少弐を見る。
「……同じ名です」
少弐は動かなかった。
「もう一度」
「スリフォン殿から聞いた、お父上の名と同じです」
少弐は墓を見る。
探していた。
何日も。
寺から寺へ行った。
商人にも聞いた。
昔の知人にも聞いた。
誰も居場所を知らなかった。
生きているという話まであった。
それなのに――
大都へ入った最初の日。
最初に泊まった寺で。
父親は見つかった。
墓として。
「いつ亡くなった」
少弐が尋ねた。
僧が墓標を確かめる。
答えが返ってきた。
少弐は顔を上げた。
「……大都が落ちた年ではないのか?」
違った。
もっと後だった。
つまり、父はアユタヤ陥落を生き延びていた。
少弐は墓の前へしゃがんだ。
「では、ここまで来たのか」
スリフォンを七年前に逃がした。
その後も大都に残った。
1569年、大都は陥落した。
それでも生き残った。
そして何らかの事情で、この大寺院へたどり着いた。
少弐は僧に尋ねた。
「この者を知っている者は、まだ寺にいるか」
僧はしばらく考えた。
そして頷いた。
一人いるという。
かなり年老いている。
父親がこの寺へ来たころを知っている僧だった。
少弐は墓を見た。
すぐその僧のところへ行こうとして――やめた。
「今日は聞かぬ」
案内人が驚く。
「よろしいのですか」
「よい」
少弐は墓前に座った。
鹿島衆からもらった香の袋を取り出す。
少量を焚いた。
異国の香りが、シャムの墓前に漂った。
「まず、ここまで来たことを知らせてやろう」
少弐は手を合わせた。
しばらくして言った。
「それから聞こう。この人が、息子を逃がしたあと何をしていたのか」
そして何より――
どうして父を知る者たちが、スリフォンに死を伝えなかったのか。
少弐はそこに引っかかっていた。
翌日。
老僧から話を聞けば、おそらく七年前から現在までの空白が埋まる。
しかし今夜だけは調査を止めた。
少弐は墓前の香が消えるまで、そこに座っていた。
明日知ることになる話を、スリフォンへどう伝えるべきなのか。
その答えだけは、どの記録にも書かれていなかった。




