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坂東の海の果て

爪哇を離れたポラールは、そのままシャムへ向かわず、一度マラッカへ入った。


海峡へ近づくにつれて船影が増えた。


大きな商船もいる。


小舟もいる。


帆の形も船体の造りもばらばらで、どこの船なのか少弐には見ただけでは分からないものも多かった。


そして何より――狭い。


「……これは襲いやすいな」


少弐が海峡を眺めながら呟いた。


代理船長が苦笑する。


「普通は『襲われやすい』と申すのでは?」


「同じことだ」


陸と陸の間を船が行き交う。


ここを通らなければならない船が多い。


荷を満載した商船が次々に来る。


待ち伏せする側からすれば、これほど都合のいい場所もない。


小田の前線拠点があるという場所へ入ってみれば、その印象はさらに強くなった。


「……海賊の根城ではないか」


小舟。


倉。


武器を持った船乗り。


見張り。


国籍もよく分からない男たち。


その中から数人が歩いてきた。


「少弐様!」


日本語だった。


「おお」


鹿島衆である。


少弐は周囲を見回した。


「お前たち、ずいぶん物騒なところにいるな」


鹿島衆の一人が笑った。


「実際、出ますよ」


「何が」


「海賊です」


あまりにもあっさり言うので、少弐も笑った。


「やはりいるのか」


「この辺りは狭いですからな。船の通るところがだいたい決まっております。待っていれば向こうから来ます」


「お前たちは違うのだろうな」


「さて」


「おい」


また笑いが起きた。


冗談なのかどうか、少弐には最後まで分からなかった。


---


ここはブルネイとは違った。


ブルネイの拠点は、すでに後背地から鼈甲や黒檀を集め、時には竜涎香まで扱う集散地へ育っている。


それに比べれば、マラッカは小さい。


倉もある。


人もいる。


補給もできる。


だが、どこか落ち着かない。


まさしく西方へ手を伸ばすための前線基地だった。


少弐がそのことを口にすると、鹿島衆の男も頷いた。


「これより西には、まだ我らの基地はございません」


少弐は一瞬、意味が分からなかった。


「……これより西?」


「はい」


男は海峡の向こうを指した。


「ここが今のところ、一番西です」


少弐は黙った。


兵庫津を出た。


五島。


琉球。


マニラ。


ブルネイ。


爪哇。


そしてマラッカ。


そのそれぞれで鹿島衆や、小田と関係する人間に出迎えられた。


少弐自身が一つ一つ造ったわけではない。


船乗りが次の港へ行った。


商人が利益を見つけた。


鹿島衆が人を置いた。


現地の者を雇った。


その者が仲間を増やした。


気がつけば道が次の道につながっていた。


「……広くなったな」


少弐が呟いた。


「何がです?」


「坂東だ」


鹿島衆が笑った。


「ここは坂東ではございませんよ」


「分かっている」


だが、兵庫津を出てここまで来る間、行く先々に坂東の者がいた。


少弐は妙な気分になった。


坂東とは土地の名前だったはずなのに。


いつの間にか海の上に、細い糸のように広がっている。


そして、その糸の現在の端がここだった。


マラッカ。


その先は、まだ知らない海だった。


---


出航の支度をしていると、鹿島衆が小さな袋をいくつか持ってきた。


「少弐様、こちらを」


「何だ?」


開けば強い香りがした。


香。


香辛料。


少量ずつではあるが、どれも日本へ持って帰れば相当な値になる品だった。


「こんなにいらんぞ」


「お持ちください」


「今回は商いではない」


「承知しております」


鹿島衆は笑った。


「ですが、この辺りのものは一袋でも持って帰れば財になります」


「だからいらんと言っている」


「少弐様が使わなくても、誰かへの土産になります」


少弐は黙った。


その言葉には弱かった。


「……では、少しだけ」


「最初からそのつもりです」


袋がポラールへ運ばれていく。


少弐はそれを見送りながら、


「結局、帰りも荷が増えるではないか」


と呟いた。


---


マラッカを出ると、いよいよシャムへ向かった。


ここからはスリフォンの知る海だった。


海図を見る時間が増えた。


水路について尋ねれば、答えが返ってくる。


どこへ寄るべきか。


どこを避けるべきか。


どの川を使えば王都へ近づけるのか。


その説明は的確だった。


しかし――。


少弐は気づいていた。


アユタヤへ近づけば近づくほど、スリフォンの口数が減っている。


「スリフォン殿」


「はい」


「疲れたか?」


「いえ」


それだけだった。


少弐も、それ以上は聞かなかった。


海から川へ。


景色が変わる。


船の姿も変わる。


岸辺の集落も、次第にスリフォンの記憶にあるものへ近づいていった。


時折、彼は何かを見つけたように岸を見る。


そしてすぐ目を逸らす。


少弐には、その顔が暗くなっているように見えた。


だが、嫌がっているようには見えない。


もっと複雑だった。


懐かしい。


帰りたい。


帰りたくない。


見たい。


見たくない。


そんなものが全部一緒になった顔だった。


「……変わっておりませぬな」


あるとき、スリフォンが小さく言った。


少弐が振り向く。


「何が?」


スリフォンは岸を見たまま答えなかった。


遠くに寺の屋根が見えていた。


少弐はそれ以上聞かなかった。


やがて船がさらに進む。


仏塔が見え始めた。


一つ。


また一つ。


爪哇で見た、森に沈黙する仏とは違う。


人がいる。


舟が行き交う。


鐘が鳴る。


僧の姿がある。


生きている仏の都だった。


少弐は思わず船縁へ近づいた。


「……なるほど」


ブルネイの長が言った意味が、ようやく分かった。


南海で仏を見るならシャムへ行け。


確かにそうだった。


だが隣を見ると、スリフォンは仏塔を見ていなかった。


もっと遠くを見ている。


自分だけに見えている昔の景色を探すように。


その顔には、まだ暗さがあった。


しかし同時に、どうしようもないほどの哀愁があった。


少弐は声をかけなかった。


ボロブドゥールで自分を放っておいてくれた男である。


今度はこちらが、何も言わずにいる番だった。


ポラールは静かに、スリフォンが二度と戻らぬつもりで捨てた故郷へ近づいていった。

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