表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
944/1021

仏の山を下りる日

それから何日か、少弐は同じように過ごした。


調査をやめたわけではない。


先遣隊の者たちは測り、描き、記録を続けている。


崩れた石の位置。


浮彫。


仏像。


周囲の地形。


水の流れ。


見つかった古道らしきもの。


持ち帰れるだけの記録は作られていった。


けれど少弐自身は、もう問いを追わなかった。


朝になると歩いた。


仏を見た。


浮彫を眺めた。


疲れると座った。


キセルをふかした。


そして空を見た。


それだけだった。


スリフォンも留めなかった。


「調査をなさいませ」とも言わない。


「そろそろ出立を」とも言わない。


兵学館の教師としてなら、日程を考えれば何か言うべきだったのかもしれない。


だが、言わなかった。


ボロブドゥールには、そうさせるだけの何かがあった。


巨大だからではない。


美しいからでもない。


古いからでもない。


誰にも分からなかった。


ただ、そこにいると急ぐ気が失せた。


答えを出すことが、ひどく小さなことのように思えた。


---


その日の少弐は、例の一体の前に長く座っていた。


帰国のため丁寧に布で包む前、もう一度だけ姿を確かめておきたかった。


傷ついている。


欠けている。


それでも手を合わせている。


少弐は、その仏をじっと見た。


比叡山の僧たちのことを思った。


兵庫津を思った。


ライラを思った。


雲丸を思った。


遠い坂東のことも思った。


これから先のことも、少しだけ考えた。


それから少弐はキセルを脇へ置いた。


仏と向かい合った。


手を合わせた。


何を祈ったのか。


スリフォンにも聞こえなかった。


少弐自身も、それを言葉にはしなかった。


ただ、長く頭を下げた。


やがて顔を上げる。


仏は変わらず、手を合わせている。


「……よし」


少弐は立ち上がった。


着物についた土を払う。


キセルを拾った。


そして、いつもの調子で言った。


「行こう」


数日間、ほとんど何も言わなかった男の言葉だった。


スリフォンはただ頷いた。


「はい」


少弐はもう一度、ボロブドゥールを振り返った。


何も分からなかった。


なぜ造ったのか。


なぜ捨てたのか。


なぜ壊れたのか。


なぜ忘れられたのか。


答えは持ち帰れない。


それでもよかった。


絵図がある。


記録がある。


そして一体の、傷ついた仏がある。


それ以上は、今はいらなかった。


少弐は石段を下り始めた。


途中で思い出したように言った。


「そうだ、スリフォン殿」


「はい」


「次はシャムにある寺が見たい」


スリフォンの足が止まった。


少弐は数歩進んでから気づいて振り返る。


「どうした?」


スリフォンの顔色が変わっていた。


ほんの一瞬だった。


だが少弐は見逃さなかった。


「……シャム、でございますか」


「うむ」


少弐は何も知らずに続ける。


「ブルネイで聞いた。南海で今も仏法が盛んなところを見たいなら、シャムの大都へ行けとな」


スリフォンは黙った。


「お前の故郷だろう?」


返事がない。


少弐は首を傾げた。


「嫌なら別の案内を探すが」


「いえ」


スリフォンはすぐに答えた。


少し早すぎるくらいだった。


そして一度息を整えた。


「私がご案内いたします」


「そうか」


少弐はそれ以上聞かなかった。


「では頼む」


「はい」


再び歩き始める。


だが今度は、スリフォンが少弐の少し後ろを歩いた。


その顔から先ほどの動揺は消えている。


それでも胸の中では、とうに捨てたはずの地名が次々と蘇っていた。


川。


門。


寺。


市場。


昔の屋敷。


戦友。


親類。


そして、二度と戻ることはないと思っていた大都。


アユタヤ。


ボロブドゥールで少弐が見つけたのは、忘れられた仏の過去だった。


そして次に向かう土地には、


スリフォン自身が置き去りにしてきた過去があった。


二人は石段を下りていった。


少弐は一度も振り返らなかった。


スリフォンだけが最後に足を止め、仏の山を見上げた。


それから静かに頭を下げた。


そして少弐の後を追った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ