一体の仏
少弐は、もう一服だけした。
煙を吐き、キセルの雁首を見つめる。
それから隣に座っていたスリフォンへ言った。
「スリフォン殿」
「はい」
「私は仏の作法が分からん」
スリフォンが少弐を見る。
「日本でも寺には行く。僧とも話す。経も多少は聞いた。だが、ここで何をすればよいのかは分からん」
少弐は周囲の仏たちを見た。
「何もしないというのも、どうにも落ち着かん」
しばらく考えてから言った。
「経をあげてもらえないか」
「私が、ですか」
「シャムの者だろう」
「僧ではありません」
「知っている範囲でいい」
スリフォンは少し困った顔をした。
だが、断らなかった。
「では、正しい作法とは申せませんぞ」
「私よりは正しい」
少弐はキセルを置いた。
スリフォンは仏の前へ座った。
そして静かに手を合わせた。
坂東では聞いたことのない言葉だった。
日本の寺で聞く経とも違う。
少弐には意味が分からない。
それでも、声だけは静かに石の間を流れていった。
誰もいない寺。
もう何百年も、誰が何を唱えたのかさえ分からない場所。
そこに、遠いシャムで覚えた祈りの声が響いた。
少弐も手を合わせた。
意味は分からなくてもよかった。
経が終わるまで、そうしていた。
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それから少弐は、一体の仏のところへ向かった。
調査を始めたころから気になっていたものだった。
傷ついている。
完全な姿ではない。
立派だから目についたのでもない。
特別に大きいわけでもない。
ただ――。
傷ついてなお、拝んでいた。
少弐にはそう見えて仕方がなかった。
しばらく、その前にしゃがんだ。
「……これだけは」
スリフォンは何も言わない。
少弐は両手をかけた。
乱暴に引き抜いたりはしなかった。
周囲の土を払い、石の状態を確かめ、崩れそうなところがないかを見た。
それから慎重に持ち上げた。
重かった。
「手伝いましょう」
「頼む」
二人でゆっくりと運んだ。
用意させた厚い布を広げる。
少弐は仏像についた土を手で払った。
顔。
肩。
合わせた手。
傷のところには触れすぎないようにした。
そして布で包んだ。
何重にも。
いつも珍品を手に入れたときとは違った。
値を考えなかった。
誰に見せれば驚くだろうとも思わなかった。
宗及への土産だとも思わなかった。
ただ、この一体を連れて帰ろうと思った。
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それからの少弐は、ほとんど仕事をしなかった。
歩いた。
ただ歩いた。
石段を上がった。
浮彫の前で止まった。
仏を見た。
ただ見た。
疲れれば座った。
座ったまま何もしなかった。
時折キセルを取り出した。
火をつけた。
吸った。
煙を吐いた。
それだけだった。
誰かが調査結果を持ってきても、
「そこへ置いておいてくれ」
と言った。
スリフォンも急かさなかった。
少弐はまた歩いた。
何かを探しているわけではない。
答えを探しているわけでもない。
石に刻まれた人を見る。
船を見る。
木を見る。
動物を見る。
仏を見る。
そして、空を見る。
爪哇の空は、日本の空とは違うようにも見えた。
けれど、ずっと見ていると同じようにも思えた。
少弐は石に背を預けた。
キセルをふかした。
煙が上へ昇っていく。
その向こうに空がある。
「……」
何も言わなかった。
何かを言葉にしてしまえば、また答えを探し始める気がした。
だから、ただ見た。
風が吹いた。
森が鳴った。
仏たちは何も言わなかった。
少弐も何も聞かなかった。
少し離れたところには、布に包まれた一体の仏があった。
傷ついてなお、手を合わせていた仏だった。
少弐はそれを一度だけ見た。
そしてまた空を見上げた。
その日は、それでよかった。




