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仏はなぜ森に残ったのか

少弐は、すぐには調査を始めなかった。


目の前にあるものを、まず眺めた。


石段を上がる。


仏を見る。


壁面に刻まれた浮彫を見る。


崩れた石を拾い、元あった場所を想像する。


それから周囲を見渡した。


人がいない。


これほど巨大なものを造ったのである。


石を切った者がいた。


運んだ者がいた。


積んだ者がいた。


彫った者がいた。


彼らに食わせる者もいれば、命令した者もいたはずだ。


そして何より、ここへ祈りに来る者がいたはずだった。


なのに、今はいない。


少弐は崩れた仏像の前にしゃがんだ。


頭部を失ったものがある。


割れたものもある。


石組みそのものが崩れているところもあった。


「……分からんな」


後ろにいたスリフォンが聞いた。


「何がです?」


「全部だ」


少弐は立ち上がった。


「なぜ壊れている」


返事はない。


「なぜ捨てられた」


少弐は森を見る。


「そして、なぜ忘れられた」


スリフォンは黙っていた。


少弐は振り返った。


「兵学館の先生として聞こう」


「嫌な聞き方をなさいますな」


「シャムの人間としてでもよい」


少弐は石段へ腰を下ろした。


「スリフォン殿は、どう思う?」


スリフォンも少し離れたところへ座った。


しばらく考えた。


「……まず」


彼は巨大な石造物を見上げた。


「これを壊すのは、大変です」


少弐が目を瞬いた。


「そこからか」


「兵学館の者として聞かれましたので」


スリフォンは真面目だった。


「これほどの石を、人がすべて壊そうとすれば大仕事です。軍勢を連れてきて仏を打ち壊すことはできます。しかし、この山全部を消すとなれば、何のためにそこまで働くのか分かりません」


「では、壊されたのではない?」


「壊されたものもあるでしょう」


スリフォンは首のない仏を指した。


「人が壊したもの。盗られたもの。落ちたもの。木の根や水に押されたもの。地が揺れて崩れたもの」


「地が揺れる?」


「この辺りでは珍しくありません」


少弐は頷いた。


「なるほど」


「私は、一度に壊されたのではないと思います」


少弐の視線がスリフォンへ戻った。


「では、なぜ捨てられた」


今度はスリフォンも答えるまで時間を置いた。


「王が変わったのではありませんか」


「王?」


「これほどのものは、村一つでは造れません」


スリフォンは周囲を見渡した。


「大勢の人間を働かせ、食わせ、石を運ばせる。僧を養う。道を作る。それができる王がいたのでしょう」


兵学館で軍事と行政を教えてきた人間らしい答えだった。


「その王がいなくなった」


「あるいは都が移った。戦があった。別の王が別の場所を重んじた。田畑や道が変わった。火を噴く山から逃げたのかもしれない」


少弐は石を撫でた。


「回回教が壊した、というのは?」


スリフォンは少し考えてから首を振った。


「それだけでは説明できません」


「なぜ?」


「私が聞いた話では、回回教がこの島で大きくなるより、これはずっと古い」


そしてスリフォンは、少しだけ笑った。


「それに、宗旨が変わったからといって、山ほどある石が突然消えるわけではありません」


「確かにな」


「王が変わる。人が移る。寺を養う者がいなくなる。道が使われなくなる。森が近づく。子の代には『昔の寺』になる。その子には『古い石山』になる」


スリフォンはそこで言葉を切った。


「さらに何代か経てば――」


少弐が続きを言った。


「誰が造ったのかも分からなくなる」


「はい」


森の中から鳥の声がした。


少弐はしばらく何も言わなかった。


やがて尋ねた。


「シャムでも、そうなると思うか」


その質問には、スリフォンの表情が少し変わった。


兵学館の先生ではなく、アユタヤに生まれた男の顔になった。


「なります」


即答だった。


「アユタヤにも大きな寺があります。王が仏塔を建て、仏像を寄進し、僧を養います」


少弐は黙って聞いた。


「我らは、それが永遠に続くような気になります」


スリフォンは目の前の遺跡を見上げた。


「しかし、ここを造った者たちも、そう思っていたのでしょう」


少弐の表情が変わった。


スリフォンは続けた。


「自分たちの王都がなくなるとは思わない。自分たちの寺から僧が消えるとも思わない。子も孫も同じ仏を拝むと思っている」


「……だろうな」


「しかし国は負けます」


スリフォンの声は静かだった。


アユタヤ出身の彼にとって、それは想像ではなかった。


「王は替わります。人は逃げます。寺も焼けます。それでも人が戻れば建て直せる」


そこでスリフォンは、森に埋もれた石段を見た。


「怖いのは、誰も戻らなくなることです」


少弐は何も言わなかった。


「壊されたから忘れられたのではないのでしょう」


スリフォンは言った。


「必要とする人間がいなくなったから、忘れられた。」


風が木々を揺らした。


少弐は長いこと、無数の仏を眺めていた。


「……では」


ようやく口を開いた。


「これを調べれば、仏だけではなく、ここにいた人間まで少しは分かるか」


「そのために少弐殿は来たのでしょう?」


「いや」


少弐は笑った。


「私は神々しいものを探しに来ただけだ」


スリフォンも笑った。


「では、ずいぶん大きなものを引き当てましたな」


「大きすぎる」


少弐は立ち上がった。


そして、もう一度遺跡全体を見渡した。


壊れた理由は一つではない。


捨てられた理由も一つではない。


忘れられた理由など、なおさら分からない。


ならば決めつけるべきではない。


「よし」


少弐は帳面を開いた。


「分からないことから書こう」


最初の頁に大きく三つ記した。


なぜ壊れた。


なぜ捨てられた。


なぜ忘れられた。


そして、その下にもう一つ付け加えた。


――誰が、何のために造った。


ボロブドゥールの調査は、そこから始まった。

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