小舟の海、ブルネイ
マニラを離れたポラールは、さらに南へ走った。
次の補給地について代理船長から確認されたとき、少弐はごく当たり前のように答えた。
「鹿島衆のところへ入る」
ところが海図を見た若い船員が、少し妙な顔をした。
「……ここですか」
「ここだ」
「港、なのでしょうか」
「たぶんな」
「たぶん?」
少弐も詳しく説明できなかった。
鹿島衆がブルネイ方面に根を張り始めたころから使っている場所である。
漁村と言えば漁村だった。
しかし船乗りが妙に多い。
小舟が頻繁に出入りし、倉があり、武器を持った男も珍しくない。
海賊が立ち寄っているのか。
海賊そのものが住んでいるのか。
あるいは漁師と海賊を区別すること自体が、この海ではあまり意味を持たないのか。
少弐自身、よく分かっていない。
それでも躊躇なく、
「入れ」
と言った。
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マニラとはまるで違った。
巨大な異国船が港を埋めていたマニラに対し、こちらで目につくのは圧倒的に小舟だった。
細長い船。
帆を持つもの。
櫂で動くもの。
漁具を積んだもの。
荷物を山のように載せたもの。
その間をポラールが進んでいく。
「……こちらはこちらで面白いな」
少弐が言った。
代理船長は何も言わなかった。
ここで船を見始めると、また時間がなくなると分かっている。
浜へ降りると、鹿島衆が迎えに来た。
ただし、
「鹿島衆です」
と紹介されなければ、少弐にも分からなかっただろう。
日本人はほんのわずか。
大半は現地の者だった。
小田や鹿島の船と長く仕事をしているうちに鹿島衆の一員として扱われるようになった漁師、船乗り、通訳、荷役人たちである。
「少弐様、お待ちしておりました」
流暢ではない日本語でそう言われ、少弐は笑った。
「鹿島の者も、ずいぶん顔が変わったな」
男も笑った。
「海では、船に乗れば皆同じです」
「鹿島政清が聞いたら喜ぶぞ」
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この場所が重要なのは港そのものではなかった。
背後に広がる土地と、その向こうの交易網だった。
ここへ鼈甲が集まる。
黒檀が来る。
さらに運がよければ、とんでもない値の付く竜涎香まで持ち込まれる。
鹿島衆が自分たちですべて採集するわけではない。
現地の漁師。
内陸へ入る者。
別の島から来る船。
海岸を巡る商人。
そうした者たちから少しずつ集め、この場所に持ってくる。
それを鹿島衆がまとめ、北へ送る。
少弐は倉の前を通りながら、思わず足を止めた。
「黒檀か?」
「はい」
「ちょっと――」
代理船長が咳払いした。
「……帰りに見る」
少弐は耐えた。
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案内されたのは、日本風の商館ではなかった。
高床になった現地式の家である。
風が抜ける。
履物を外して上がると、すでにこの一帯の長が待っていた。
鹿島衆の現地頭役も同席する。
水が出された。
果物も並ぶ。
少弐は挨拶を済ませると、今回の目的について話した。
「仏を探しております」
通訳された言葉を聞いて、長は少し不思議そうな顔をした。
少弐は説明を続けた。
日本の寺で拝んでいるような仏そのものを探しているわけではない。
南海には昔、仏法を信じる王国があり、巨大な石の寺を造ったという。
その痕跡を探している。
長と鹿島衆が何事か話した。
やがて鹿島衆の男が少弐へ向き直る。
「この辺りでは、難しいでしょうな」
「やはりか」
「回回教が根を張って、もう久しゅうございます」
少弐は頷いた。
マニラでも似たような話を聞いた。
海を南へ進むほど、イスラームを信仰する商人や集落に出会うことが増えている。
少弐にとって回回教そのものは未知ではない。
ライラからも話を聞いてきた。
だが、日本から遥か離れたこの海で、それがこれほど広く根を張っていることを実際に見るのは別の話だった。
長が何かを言った。
通訳が笑った。
「仏教をお探しなのであれば、なぜシャムへ行かれないのか、と」
「シャム?」
「はい」
長も大きく頷く。
「シャムの大都には、たいそう立派な寺がいくつもあるそうです」
「大都……」
少弐は聞き返した。
アユタヤ。
シャムの王都である。
鹿島衆も言う。
「南海で今も仏を盛んに拝んでいるところをお探しなら、シャムでしょう。寺も僧も多い。こちらで昔の仏を探すより、よほど早い」
少弐は少し考えた。
確かに理屈はそうだった。
今井宗及から頼まれたのは、神々しい仏教関係のもの。
それだけを考えれば、現役の仏教王国へ行く方が早い。
だが――。
「いや」
少弐は首を振った。
「先に爪哇へ行く」
鹿島衆が少し驚いた。
「なぜです?」
「先遣の者を、ずいぶん長いこと歩かせてしまったからな」
少弐は笑った。
「今さら『シャムにもっと立派な寺があるそうだから、そちらへ行く』では、あいつらに怒られる」
長にはその冗談までは伝わらなかったらしい。
通訳されると、大きな声で笑った。
そして長がもう一言付け加えた。
「では、爪哇を見てからシャムへ行けばよい、と」
少弐は一瞬黙った。
鹿島衆も笑った。
「それがよろしいかもしれませんな」
「……六月には帰ると言ってある」
「まだ時間はございます」
少弐は腕を組んだ。
その言葉は危険だった。
非常に危険だった。
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その夜、少弐は海図を広げた。
まず爪哇。
先遣隊が探しているという、昔の仏法の痕跡を見る。
それから帰路。
マラッカへ入る予定もある。
その先で時間が残っていれば――。
少弐の指が海図の上を動いた。
シャム。
そしてアユタヤ。
「……帰りだな」
代理船長が嫌そうな顔をした。
「何がでしょう」
「何でもない」
少弐は海図を畳んだ。
翌朝。
補給を終えたポラールは、小舟の群れの間を抜けていった。
浜では鹿島衆と現地の者たちが手を振っている。
その背後には、鼈甲、黒檀、そして時折竜涎香まで北へ送り出す、小さく奇妙な基地があった。
少弐はそれを眺めながら思った。
マニラでは巨大な船を見た。
ブルネイでは小舟の群れを見た。
そして、どちらでも聞いた。
この海では、もう回回教が広く根を張っている。
では――。
先遣隊が追っている「昔の仏」は、いったい何なのか。
ポラールはその答えを求めて、さらに南、爪哇へ向かった。




