聖夜までの有馬――雲丸に狙われる沈船目録
天正二年十二月。
クリスマスまでは有馬にいる。
ライラと交わした約束を、少弐冬明は珍しくきちんと守っていた。
もちろん、何もしないわけではない。
「必要な執務ならいい」
という許可は得ている。
そこで少弐は松浦に命じ、ここ数か月で引き揚げた三隻の沈没船について、発見物を一度きちんと整理させることにした。
対馬沖の遣新羅使船。
瀬戸内の平安末期の商船。
そして――
五島沖で発見された、唐へ向かう途中に沈んだ遣唐使船。
松浦から分厚い目録が有馬へ届けられた。
「よし」
少弐は座って読み始めた。
すぐに失敗した。
「雲丸、これは駄目」
一歳になった雲丸が寄ってきた。
紙を見つける。
手を伸ばす。
「これは父上の仕事だから――」
掴んだ。
「待て待て」
くしゃり。
「雲丸」
さらに引っ張る。
「それ遣唐使!」
意味など分かるはずもない。
雲丸は紙の端を掴んだまま、楽しそうに引っ張った。
少弐が取り返す。
雲丸が追う。
少弐はとうとう立ち上がった。
「……こうすれば届かない」
以来、少弐冬明は立ったまま沈没船の目録を読むことになった。
ライラはそれを見て笑っている。
「座れば?」
「座ったら遣唐使が雲丸に破壊される」
「雲丸の方が強いのね」
「今のところ連戦連勝だな」
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五島沖――遣唐使船
まず少弐が念入りに読んだのが、五島沖の船だった。
調査の結果、唐から帰国する船ではなく、日本から唐へ向かう往路で失われた遣唐使船である可能性がきわめて高くなった。
したがって船内に残されていたのも、唐から持ち帰った品ではない。
日本から持ち出されたものだった。
松浦が作らせた目録には、保存状態の良し悪しも添えられている。
『五島沖古船・引揚品目録抄』
・朝廷から唐側へ贈るための絁・絹布類。大部分は失われ、容器や付着物を中心に確認。
・真綿・繊維類とみられる痕跡。海水による損傷甚大。
・日本産と考えられる漆器類。椀・箱・容器の破片。漆膜が部分的に残存。
・漆を運んだ可能性のある容器。内容物の痕跡あり。
・贈答・交換に用いる目的とみられる工芸品および装飾金具数点。
・文書を収めていたと考えられる容器。内部の文書そのものはほとんど判読不能。
・使節団の儀礼用品とみられる品々。
・航海用の食器、炊事具、水や食料を収めた容器。
・唐側へ渡す品々と区別して積まれていたと考えられる、使節団個人の携行品。
少弐は途中で松浦への返書を書かせた。
「献上品と乗組員の私物を絶対に一緒にするな、と書いて」
そしてもう一つ。
「確定していないものに『朝廷の献上品』と断定して札を付けるな。『献上品と推定』でいい」
記録係が頷く。
少弐は再び目録を読む。
何百年も前。
都で用意された品々が運ばれ、船に積まれ、五島を経て大陸へ向かおうとした。
だが海を越えることはできなかった。
「唐の人に渡すはずだったものが、日本に帰ってきたのか」
少弐は不思議そうに呟いた。
その横で雲丸が再び紙へ手を伸ばしている。
「これは駄目」
少弐は目録をさらに高く掲げた。
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対馬沖――遣新羅使船
二冊目。
こちらはすでに、遣新羅使に関係する船であることがほぼ確実と判断されていた。
目録の中心は、何といってもあの仏画だった。
『対馬沖古船・引揚品目録抄』
・古代朝鮮半島系の様式を示す仏教絵画一点。例外的に保存状態良好。乾燥・展開を急がず保存中。
・仏具と考えられる金属製品および破片。
・小型の仏教関係品とみられる遺物数点。用途未確定。
・文字の痕跡を残す木簡・文書類。ただし海水による損傷が激しく、判読可能箇所は限定的。
・朝鮮半島由来とみられる陶器・容器類。
・船員の生活用具。
・船体部材および艤装品。
・用途不明の木製品、金属片多数。
少弐は仏画の項目をもう一度読む。
比叡山から頼まれた「人々に仏心を思い起こさせるようなもの」。
その探索を始めた先で、まさか海底からこれほど古い仏画が現れるとは思っていなかった。
ただし少弐は、まだ比叡山へ渡すとは決めなかった。
「これはまず調べる」
由来も分からないまま、
「ありがたいものが出たから寺へ」
では駄目だった。
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瀬戸内――清盛の時代の商船
三冊目。
平安末期、平清盛の時代と重なると推定される商船である。
こちらは使節船とは性格がまったく違った。
『瀬戸内古船・引揚品目録抄』
・仏教経典の断片および経巻の軸。
・小型仏像数躯。一部欠損。
・仏具類。
・香料または薬種を収めていた可能性のある容器。
・漆器および木製容器。
・交易用と考えられる陶磁器。
・日常使用の食器。
・銭貨。
・船員の携行品。
・船体部材、帆走・係留関係の道具。
少弐はここまで読んで、首を傾げた。
「商船にしては仏教のものが多いな」
寺社へ納める荷だったのか。
寺社が関係する商取引だったのか。
あるいは複数の荷主の品をまとめて積んでいたのか。
まだ分からない。
ところが――
この船については、新しい報告が続いていた。
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「周辺海底?」
少弐が読み上げる。
沈没地点の周囲をさらに調べたところ、船体から離れた場所でも遺物が見つかったという。
この海域は潮が速い。
船が沈む際に荷が散乱したのか。
沈没後に船体が崩壊し、長い年月をかけて積荷が流されたのか。
かなり広い範囲に散っている。
その中でも突出して多かったのが――
皿と壺だった。
「大量?」
使者が答えた。
「かなりの数と」
海底を探ると一枚。
さらに先にも一枚。
砂泥に埋まった壺。
割れた大皿。
破片。
また壺。
船体の周辺だけではない。
潮の流れに沿うように、かなり離れた場所まで陶磁器類が散っていた。
少弐はすぐ地図を持ってこさせた。
「拾った場所を全部書いて」
「品を、ではなく?」
「場所もだ」
何が何枚出たかだけでは足りない。
どこに散っているのか。
それが分かれば、船が沈んだ時にどう崩れたのか、あるいは積荷がどちらへ流されたのかを考えられる。
「割れた皿も?」
「全部」
「ただの破片も?」
「形が分かるものは全部記録して」
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そして少弐は、別の可能性にも気づいた。
「待てよ」
仏像や経典が目立ったため、これまで皆の注意がそちらへ向いていた。
しかし大量の皿や壺まで積まれていたとなれば、この船は「仏教関係の荷を運んでいた船」というだけではないかもしれない。
もっと普通の商船だった可能性が高くなる。
複数の荷主。
複数の目的地。
寺社向けの経典や仏像。
商人の陶磁器。
日用品。
香料。
銭。
それらを一緒に載せ、瀬戸内を行き来する船。
少弐は目録へ追記させた。
「仏教関係品の多さのみをもって寺社専用船と断定せず。周辺散乱品を含め、一般交易船として再検討すべし」
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「冬明」
ライラだった。
「なに?」
「雲丸が立った」
「今仕事――」
少弐が目録から顔を上げる。
雲丸が机につかまっている。
手を離した。
一歩。
二歩。
三歩。
少弐が紙を持ったまま見ている。
四歩。
五歩。
六歩――。
ぺたん。
「六歩!」
ライラが嬉しそうに言った。
「六歩だな」
少弐も笑う。
すると雲丸が再び立ち上がった。
今度は少弐のところへ来る。
一歩。
二歩。
少弐がしゃがもうとした。
その瞬間、雲丸の視線が変わった。
少弐の手にある紙を見ている。
「あ」
雲丸が歩く。
三歩。
四歩。
五歩。
六歩。
七歩。
そして――
遣唐使船の目録を掴んだ。
「やっぱりそれが目的か!」
紙がくしゃりと鳴った。
ライラが笑い出した。
少弐は目録を救出する。
「七歩だぞ」
「そうね」
「最高記録じゃない?」
「そうね」
ライラは嬉しそうに雲丸を抱き上げた。
「紙があれば歩けるのね」
「俺の仕事を餌にするな」
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その晩。
少弐は雲丸が眠ってから、ようやく座って三冊の目録を読み直した。
対馬から――遣新羅使。
瀬戸内から――清盛の時代の商船。
五島から――遣唐使。
そして海底には、まだ皿や壺が散らばっている。
一隻見つけたことで、船乗りたちが昔見た「海底の変なもの」を報告するようになった。
それが二隻目、三隻目につながった。
少弐は最後に松浦への指示を書かせた。
三隻の遺物を混同しないこと。
発見場所を記録すること。
不明品は不明のままとすること。
保存を優先し、無理に洗浄・修復しないこと。
瀬戸内については、周辺海底の陶磁器散布範囲を引き続き調査すること。
書き終えると、少弐は筆を置いた。
クリスマスまでは、あと少し。
その後にはジャワとスマトラが待っている。
だが今は有馬でよかった。
何百年も前に唐へ向かった船の目録を読み、
海底から帰ってきた仏像や皿について考え、
そして昼間は――
紙を奪うためだけに七歩も歩いた雲丸を褒める。
旅へ出れば、こういう日々はしばらく見られなくなる。
少弐は眠っている雲丸を見て、少し笑った。
クリスマスまでは、まだ父親の時間だった。




