裁定下る――米を止め、目を残す
天正二年六月末。
有馬にいた少弐冬明のもとへ、ようやく裁定の知らせが届いた。
長かった。
だが誰かが意図的に引き延ばしたわけではない。
途中から赤松氏が播磨守護として異議を申し立て、羽柴方の主張と照らし合わせ、さらに信長の使者が双方を往復したのである。
裁定の骨子は、双方に完全な勝利を与えないものだった。
羽柴秀吉による三木城の包囲そのものは認める。
三木城へ直接通じる軍路については、羽柴勢が兵糧・軍需物資の搬入を阻止することを認める。
一方で――
三木から離れた播磨国内の市、村落、一般街道まで羽柴勢が独断で禁制を広げることは認めない。
播磨守護としての赤松氏の権限を尊重し、通常の商いと往来を妨げない。
少弐側についても、通常の商売と領民への救恤は認めるが、それを名目として三木城へ兵糧を搬入してはならない。
ずいぶん細かな裁定だった。
それだけ、ここ数か月の争いが細かすぎたのである。
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少弐は知らせを最後まで読むと、
「分かった」
とだけ言った。
須知が尋ねた。
「清盛館へ戻られますか」
「いや」
少弐は首を振った。
「まだ有馬にいる」
ここで慌てて三木へ戻れば、また少弐が何か企んでいると見られる。
せっかく信長が裁いたのだ。
ならば従う。
少弐はその日のうちに清盛館へ指示を送った。
裁定を守ること。
まず、それを一番上に書かせた。
市については、裁定で認められた地域なら通常通り開いてよい。
米も売る。
味噌も売る。
紙も売る。
筆や硯の貸し出しも続けてよい。
里を思い出すような漬物や干物を並べることも問題ない。
ただし価格を不自然に操作して羽柴勢を困らせるようなことは、もうしない。
普通の商売に戻す。
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問題は喜捨だった。
少弐はここも明確にした。
「揉めるな」
書状を読んだ渡辺が、四十郎を見る。
続きにはこうあった。
喜捨・炊き出しについて羽柴方と解釈が割れる場合、現場で争わないこと。
羽柴方から異議が出れば、
「裁定のどの部分に抵触するか」
を確認する。
判断できなければ赤松側、あるいは裁定を担当した者へ問い合わせる。
それまでは場所を移す。
つまり――
喜捨まで裁定の中でやれ。
以前のように、
「売ってないから市ではない」
「持って帰らせないから兵糧ではない」
と現場で延々と揉めるのは終わりだった。
渡辺が苦笑した。
「少弐殿もようやく大人しくなられたか」
須知が言った。
「本人がおらぬから言えることだな」
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そして四十郎には、別の書状が届いた。
短かった。
四十郎は二度読んだ。
三木城への米の搬入を止めよ。
正規の荷駄はもちろん。
迂回搬入も。
偽荷駄も。
少量ずつ人に持たせることも。
すべて止める。
四十郎には少し辛い命令だった。
叔父たちがいる。
両親を失った自分を育ててくれた一族が、三木城にいる。
「……少弐殿」
思わず呟いた。
だが書状には続きがあった。
ただし、三木を見捨てよとは言っていない。
四十郎の目が止まった。
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少弐は、四十郎の役目そのものを変えた。
商人ではなく――
目になれ。
三木城周辺を見よ。
羽柴勢がどこへ兵を動かしているか。
包囲線が厚くなっているか。
新しい陣が築かれているか。
街道の様子。
周辺の村。
三木城の外から見える変化。
そして何より、
裁定後、秀吉が攻勢を強める可能性を警戒せよ。
少弐はそう考えていた。
これまで秀吉は市との争いにも兵と時間を取られていた。
だが裁定によって線引きが決まった。
少弐側も兵糧搬入を止める。
ならば秀吉は、本来の仕事へ集中できる。
三木城攻略である。
「……そうか」
四十郎はようやく理解した。
裁定が成立したから安全になったのではない。
むしろ――
ここから本当の城攻めが始まるかもしれない。
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ただし少弐は、四十郎が勝手に大勢を連れて歩くことも禁じた。
必要なら人を使ってよい。
しかし条件がある。
播磨の者に限る。
土地勘のある者。
村や山道を知る者。
三木周辺で顔を知られていても不自然ではない者。
兵庫津から虎衆を大量に連れて行くなど論外だった。
須知も連れて行かない。
渡辺も基本的には清盛館に残る。
小田の兵が三木周辺をうろつけば、せっかくの裁定が台無しになる。
四十郎は必要な時だけ、播磨出身者を数人連れて歩く。
そして決して戦わない。
見つかったら帰る。
止められたら争わない。
城へ近づきすぎない。
少弐は最後に念を押していた。
「叔父上を助けたいからこそ、今は米を持っていくな」
四十郎には、その一文が一番重かった。
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清盛館では官兵衛も裁定書を読んだ。
「悪くございませぬ」
渡辺が尋ねる。
「勝ったので?」
官兵衛は首を振った。
「勝ち負けではございません」
羽柴秀吉には三木城を攻める権利が残った。
赤松には播磨守護としての顔が立った。
少弐には通常の商売を続ける余地が残った。
別所だけが、これから厳しい。
「むしろ――」
官兵衛は三木周辺の地図を見る。
「羽柴殿は動きやすくなりました」
これまで秀吉は少弐の市を警戒しなければならなかった。
兵糧搬入を監視する。
四十郎を止める。
商人と揉める。
少弐から書状が来る。
赤松が抗議する。
信長へ説明する。
それが一応、終わった。
秀吉はようやく三木へ集中できる。
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そして有馬。
少弐は雲丸を膝に乗せながら報告を読んでいた。
裁定。
市。
赤松。
三木。
羽柴。
しばらく考えてから紙を畳んだ。
「四十郎は?」
使者が答える。
「命に従うとのこと」
「そうか」
少弐は安心した。
米を送るのは簡単だった。
難しいのは、送らないと決めることだった。
信長が裁定した以上、それを破れば今度は少弐自身が停戦を危うくする。
だから三木へ米は送らない。
しかし目は離さない。
四十郎を残す。
播磨の者たちに周囲を見てもらう。
そして秀吉が裁定を受けてどう動くのか――それを待つ。
雲丸が少弐の指を握った。
少弐はその手を握り返した。
「しばらく父上は何もしないぞ」
もちろん雲丸には分からない。
だが三木では、この日を境に確かに何かが変わった。
市の争いは終わった。
偽荷駄も消えた。
少弐も有馬へ引いた。
そして――
羽柴秀吉の前から、言い訳が一つずつ消えていった。
三木城を落とせない理由を、もう少弐の市だけには求められない。
六月末。
政治の戦が一度終わり、
秀吉と三木城との、本当の我慢比べが始まろうとしていた。




