表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
922/1009

裁定下る――米を止め、目を残す

天正二年六月末。


有馬にいた少弐冬明のもとへ、ようやく裁定の知らせが届いた。


長かった。


だが誰かが意図的に引き延ばしたわけではない。


途中から赤松氏が播磨守護として異議を申し立て、羽柴方の主張と照らし合わせ、さらに信長の使者が双方を往復したのである。


裁定の骨子は、双方に完全な勝利を与えないものだった。


羽柴秀吉による三木城の包囲そのものは認める。


三木城へ直接通じる軍路については、羽柴勢が兵糧・軍需物資の搬入を阻止することを認める。


一方で――


三木から離れた播磨国内の市、村落、一般街道まで羽柴勢が独断で禁制を広げることは認めない。


播磨守護としての赤松氏の権限を尊重し、通常の商いと往来を妨げない。


少弐側についても、通常の商売と領民への救恤は認めるが、それを名目として三木城へ兵糧を搬入してはならない。


ずいぶん細かな裁定だった。


それだけ、ここ数か月の争いが細かすぎたのである。



---


少弐は知らせを最後まで読むと、


「分かった」


とだけ言った。


須知が尋ねた。


「清盛館へ戻られますか」


「いや」


少弐は首を振った。


「まだ有馬にいる」


ここで慌てて三木へ戻れば、また少弐が何か企んでいると見られる。


せっかく信長が裁いたのだ。


ならば従う。


少弐はその日のうちに清盛館へ指示を送った。


裁定を守ること。


まず、それを一番上に書かせた。


市については、裁定で認められた地域なら通常通り開いてよい。


米も売る。


味噌も売る。


紙も売る。


筆や硯の貸し出しも続けてよい。


里を思い出すような漬物や干物を並べることも問題ない。


ただし価格を不自然に操作して羽柴勢を困らせるようなことは、もうしない。


普通の商売に戻す。



---


問題は喜捨だった。


少弐はここも明確にした。


「揉めるな」


書状を読んだ渡辺が、四十郎を見る。


続きにはこうあった。


喜捨・炊き出しについて羽柴方と解釈が割れる場合、現場で争わないこと。


羽柴方から異議が出れば、


「裁定のどの部分に抵触するか」


を確認する。


判断できなければ赤松側、あるいは裁定を担当した者へ問い合わせる。


それまでは場所を移す。


つまり――


喜捨まで裁定の中でやれ。


以前のように、


「売ってないから市ではない」


「持って帰らせないから兵糧ではない」


と現場で延々と揉めるのは終わりだった。


渡辺が苦笑した。


「少弐殿もようやく大人しくなられたか」


須知が言った。


「本人がおらぬから言えることだな」



---


そして四十郎には、別の書状が届いた。


短かった。


四十郎は二度読んだ。


三木城への米の搬入を止めよ。


正規の荷駄はもちろん。


迂回搬入も。


偽荷駄も。


少量ずつ人に持たせることも。


すべて止める。


四十郎には少し辛い命令だった。


叔父たちがいる。


両親を失った自分を育ててくれた一族が、三木城にいる。


「……少弐殿」


思わず呟いた。


だが書状には続きがあった。


ただし、三木を見捨てよとは言っていない。


四十郎の目が止まった。



---


少弐は、四十郎の役目そのものを変えた。


商人ではなく――


目になれ。


三木城周辺を見よ。


羽柴勢がどこへ兵を動かしているか。


包囲線が厚くなっているか。


新しい陣が築かれているか。


街道の様子。


周辺の村。


三木城の外から見える変化。


そして何より、


裁定後、秀吉が攻勢を強める可能性を警戒せよ。


少弐はそう考えていた。


これまで秀吉は市との争いにも兵と時間を取られていた。


だが裁定によって線引きが決まった。


少弐側も兵糧搬入を止める。


ならば秀吉は、本来の仕事へ集中できる。


三木城攻略である。


「……そうか」


四十郎はようやく理解した。


裁定が成立したから安全になったのではない。


むしろ――


ここから本当の城攻めが始まるかもしれない。



---


ただし少弐は、四十郎が勝手に大勢を連れて歩くことも禁じた。


必要なら人を使ってよい。


しかし条件がある。


播磨の者に限る。


土地勘のある者。


村や山道を知る者。


三木周辺で顔を知られていても不自然ではない者。


兵庫津から虎衆を大量に連れて行くなど論外だった。


須知も連れて行かない。


渡辺も基本的には清盛館に残る。


小田の兵が三木周辺をうろつけば、せっかくの裁定が台無しになる。


四十郎は必要な時だけ、播磨出身者を数人連れて歩く。


そして決して戦わない。


見つかったら帰る。


止められたら争わない。


城へ近づきすぎない。


少弐は最後に念を押していた。


「叔父上を助けたいからこそ、今は米を持っていくな」


四十郎には、その一文が一番重かった。



---


清盛館では官兵衛も裁定書を読んだ。


「悪くございませぬ」


渡辺が尋ねる。


「勝ったので?」


官兵衛は首を振った。


「勝ち負けではございません」


羽柴秀吉には三木城を攻める権利が残った。


赤松には播磨守護としての顔が立った。


少弐には通常の商売を続ける余地が残った。


別所だけが、これから厳しい。


「むしろ――」


官兵衛は三木周辺の地図を見る。


「羽柴殿は動きやすくなりました」


これまで秀吉は少弐の市を警戒しなければならなかった。


兵糧搬入を監視する。


四十郎を止める。


商人と揉める。


少弐から書状が来る。


赤松が抗議する。


信長へ説明する。


それが一応、終わった。


秀吉はようやく三木へ集中できる。



---


そして有馬。


少弐は雲丸を膝に乗せながら報告を読んでいた。


裁定。


市。


赤松。


三木。


羽柴。


しばらく考えてから紙を畳んだ。


「四十郎は?」


使者が答える。


「命に従うとのこと」


「そうか」


少弐は安心した。


米を送るのは簡単だった。


難しいのは、送らないと決めることだった。


信長が裁定した以上、それを破れば今度は少弐自身が停戦を危うくする。


だから三木へ米は送らない。


しかし目は離さない。


四十郎を残す。


播磨の者たちに周囲を見てもらう。


そして秀吉が裁定を受けてどう動くのか――それを待つ。


雲丸が少弐の指を握った。


少弐はその手を握り返した。


「しばらく父上は何もしないぞ」


もちろん雲丸には分からない。


だが三木では、この日を境に確かに何かが変わった。


市の争いは終わった。


偽荷駄も消えた。


少弐も有馬へ引いた。


そして――


羽柴秀吉の前から、言い訳が一つずつ消えていった。


三木城を落とせない理由を、もう少弐の市だけには求められない。


六月末。


政治の戦が一度終わり、


秀吉と三木城との、本当の我慢比べが始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ