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十日の猶予――赤松を起こす

天正二年六月。


羽柴秀吉が新たな触れを出した翌朝、清盛館では地図が広げられていた。


十日後。


羽柴勢は、これまで認めていた市のいくつかを新たな軍事規制の範囲へ組み込む。


四十郎が持ち帰った触れには、はっきりそう記されていた。


少弐冬明はその紙を何度か読み返したあと、黒田官兵衛に尋ねた。


「赤松殿に会おうと思う」


官兵衛はすぐに頷いた。


「頃合いかと」


「お前は残れ」


「承知しております」


今度は官兵衛も理由を尋ねなかった。


少弐が外へ出る時、官兵衛を兵庫津から動かさない。


三木の一件以来、それはほとんど決まりになりつつあった。


秀吉は危険である。


少弐と官兵衛が同時に兵庫津を離れたところを狙われれば、清盛館から西国艦隊、虎衆、市の商人たちまで、まとめる者がいなくなる。


だから――


少弐が外へ出るなら、官兵衛は残る。


少弐は別の名を呼んだ。


「須知」


「はっ」


「付き合え」


須知は一礼した。


今回は交渉役ではない。


純粋な護衛だった。



---


少弐が持っていくものは少なかった。


羽柴秀吉が最初に示した、市を認める範囲の書付。


そして今回出された、新しい触れ。


二枚を並べれば、羽柴勢が三木城周辺から徐々に規制範囲を広げていることが分かる。


官兵衛が出立前に念を押した。


「一つだけ」


「何だ」


「赤松殿へ、我らの側へ来いとは仰せにならぬよう」


少弐は笑った。


「分かっている」


「守護として抗議していただく。それだけでございます」


「うん」


少弐は二枚の紙を懐へ入れた。


「赤松を小田の家臣にしたら意味がない」


官兵衛が頷いた。


必要なのは小田の名代ではない。


播磨守護・赤松氏そのものだった。



---


赤松則房は、少弐の突然の訪問を警戒した。


兵庫津の少弐冬明。


しかも今、三木では羽柴秀吉と奇妙な争いを続けている。


その男が十日という妙な時期に訪ねてきたのである。


「少弐殿がわざわざ何用か」


「商いのことでございます」


則房が眉をひそめた。


「私に?」


「はい」


少弐は一枚目の紙を出した。


羽柴勢が以前示した範囲。


次に二枚目。


十日後から適用される新たな範囲。


「ご覧ください」


則房は二枚を比較した。


しばらく何も言わない。


やがて尋ねた。


「広がっておるな」


「はい」


「それで?」


少弐は答えた。


「困っております」


則房が少し笑った。


「それを私に申されても困る」


「ですから参りました」


「羽柴と争えと?」


「いいえ」


「三木を助けよと?」


「それも申しません」


則房の表情が変わった。


少弐は続けた。


「別所殿と羽柴殿の争いについて、赤松殿がどちらにつくか。それは私の決めることではございません」


「では何を求める」


少弐は二枚目の紙を指した。


「この線を、羽柴殿が勝手に引いてよいのか。それをお尋ねしたい」


則房が紙を見る。



---


「三木へ兵糧を入れさせぬため道を塞ぐ」


少弐は言った。


「これは戦でございましょう」


則房は黙っている。


「ですが、そのために近隣の市を禁じる」


さらに指を動かす。


「村を含める」


また動かす。


「街道を含める」


少弐は則房を見た。


「どこまで広がれば、別所殿との戦ではなく、播磨そのものを羽柴殿が差配していることになるのでしょう」


須知は後ろで一言も発しなかった。


ここでの役目は少弐を守ることだけだった。


長い沈黙の後、則房が尋ねた。


「少弐殿」


「はい」


「私に何を書かせたい」


少弐は首を振った。


「私が文章を決めてはいけません」


「ほう」


「赤松殿のお考えで書いていただかなければ意味がない」


則房が少弐を見る。


少弐は静かに続けた。


「ただ、一つお願いするならば――」


少し頭を下げた。


「守護としてお考えください」



---


則房の顔から、わずかに笑みが消えた。


「……守護か」


その言葉が重かった。


赤松氏は播磨守護家。


だが今の播磨で、その名だけですべてが動くわけではない。


別所は自立している。


国人たちもそれぞれの事情で動く。


そして今度は、羽柴秀吉が軍勢を連れて入ってきた。


少弐が言った。


「赤松殿」


「何だ」


「私は播磨が欲しいわけではございません」


則房が少弐を見る。


「兵庫津は?」


「捨てません」


即答だった。


「須磨も?」


「必要です」


「では同じではないか」


「いいえ」


少弐は首を振った。


「我らが欲しいのは海です」


「海?」


「港。船。商い。それを守るための場所」


少弐は少し考えてから続けた。


「播磨の山も田も村も、清盛館から差配したいとは思いませぬ」


そして二枚の紙へ視線を戻した。


「むしろ困るのです」


「何が」


「後ろで戦ばかりされては、商いになりません」


則房が初めて小さく笑った。


「ずいぶん勝手な理屈だ」


「商人ですので」


「武士であろう」


「最近、自分でも分からなくなっております」


須知が後ろで僅かに顔を伏せた。



---


だが、少弐はここから真顔になった。


「赤松殿」


「うむ」


「我らは海を守ります」


則房は黙って聞く。


「兵庫津を開きます。船を呼びます。商人を呼びます。必要なら播磨の品を海の向こうへ売ります」


そして、


「だから――」


少弐は播磨の地図を指した。


「陸は赤松殿に安定させていただきたい」


則房の目が細くなる。


「私に小田へ降れと?」


「申しません」


「では織田へ敵対せよと?」


「それも申しません」


「ならば何だ」


少弐は答えた。


「友であっていただきたい」


単純な言葉だった。


「播磨へ外敵が入れば、互いに助ける。兵庫津が陸から攻められれば助けていただく。我らも赤松殿が外から攻められれば助ける」


そして何より、


「道を守ってください」


「道?」


「兵庫津から播磨へ伸びる道です」


商人が通る。


荷駄が通る。


旅人が通る。


寺社へ参る者も通る。


「海は我らが守る。道は赤松殿が守る」


少弐は言った。


「それで十分です」



---


則房はすぐには答えなかった。


当然だった。


あまりにも大きな話である。


しかも少弐は領地を要求してこない。


臣従も要求しない。


代わりに、


播磨守護として立て


と言っている。


「少弐殿」


「はい」


「一つ聞こう」


「何でしょう」


「なぜ私なのだ」


少弐は少し考えた。


「羽柴殿が、あなたの国に線を引いたからです」


則房が黙る。


「私が抗議すれば、小田と織田の争いになる」


少弐は一枚目の紙を指す。


「別所殿が抗議すれば、羽柴殿は戦の相手だから当然です」


そして二枚目を指した。


「でも赤松殿なら違う」


少弐は則房を見る。


「播磨守護が『そこまで勝手に線を引くな』と言う。これなら筋が通ります」


長い沈黙が落ちた。


やがて則房は、新しい羽柴の触れをもう一度手に取った。


「……十日後か」


「はい」


「それまでは商うのだな」


「もちろん」


「少弐殿らしい」


「ありがとうございます」


「褒めておらぬ」


少弐は笑った。


則房は紙を見つめ続けた。


まだ返事はない。


それでよかった。


少弐は立ち上がった。


「明日すぐ答えていただこうとは思いません」


「十日しかないぞ」


「九日ございます」


則房が思わず笑った。


「そこを数えるか」


「一日あれば随分商えます」


少弐は頭を下げた。


「よい返事をお待ちしております」


須知も一礼する。


二人が退出しようとした時だった。


「少弐殿」


則房が呼び止めた。


少弐が振り返る。


「はい」


則房は羽柴の二枚の書付を手にしていた。


「もし赤松が再び播磨守護として立つならば――」


少し間を置いた。


「小田は本当に播磨を取らぬのだな」


少弐は即答した。


「氏治公の裁可なく約束できることではありません」


そして続けた。


「ですが、私が望む答えなら申せます」


「申せ」


「赤松殿が陸を安定させてくださるなら――」


少弐は笑った。


「私は海の向こうへ行きたい」


則房はしばらく少弐を見ていた。


やがて、


「……考えよう」


とだけ答えた。


十日の猶予。


羽柴秀吉が少弐の市へ与えた時間は、いつの間にか――


赤松氏が再び播磨守護として立ち上がるかを決める十日間へ変わっていた。

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