開いた軍勢、閉じた城門――官兵衛の「市」
天正二年四月――三木。
羽柴秀吉との五日にわたる押し問答を終えても、別所四十郎は三木への商いを諦めなかった。
むしろ意地になっていた。
「今日も行って参ります」
清盛館でそう言う四十郎を、少弐冬明は止めなかった。
「気をつけろよ」
「はい」
「今度は突き飛ばされるな」
「それは向こう次第にございます」
米、塩、味噌、油、薬。
三木城から注文を受けた品を荷駄に積み、四十郎はまた三木へ向かった。
隠れもしない。
山道にも入らない。
堂々と街道を進んだ。
すると羽柴勢の見張りが気づく。
「……来たぞ」
「またか」
「四十郎だ」
少し前までなら、ここで槍を横にして止められていた。
ところが今は違った。
四十郎が進む。
羽柴兵が左右へ退く。
さらに進む。
次の兵も退く。
まるで波が割れるように、羽柴勢の間に道ができた。
四十郎が思わず周囲を見る。
「……通れるではないか」
後ろの荷駄衆も戸惑った。
「四十郎殿、よろしいので?」
「止められておらぬ。行け」
一行は進んだ。
一つ目の陣を抜ける。
二つ目も抜ける。
三つ目も。
誰も四十郎には触れない。
誰も荷駄を倒さない。
少弐が五日間も秀吉の陣に居座った効果は絶大だった。
現場の兵まで話を知っている。
別所四十郎に乱暴するな。
そんな空気が出来上がっていた。
四十郎は堂々と進んだ。
まさに、さながらモーゼの前で海が割れるように、羽柴勢が左右へ分かれていった。
ところが。
三木城が見えるところまで来た。
「止まれ!」
最後の最後。
城へ入る門前で、槍が交差した。
四十郎が止まる。
「ここまで来てか」
「ここから先は通せぬ」
「先ほどまで皆、道を空けてくれたぞ」
「お前自身の通行を止めろとは聞いておらぬ」
兵が荷駄を見る。
「だが、その荷を城内へ入れることは許さぬ」
「では私は?」
「帰るなら好きにせよ」
四十郎はしばらく三木城を見た。
すぐそこだった。
叔父たちも、あの城にいる。
しかし荷駄を入れることはできない。
「……分かった」
四十郎は引き返した。
また羽柴勢が左右へ退く。
帰りも道が開く。
何とも奇妙な光景だった。
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翌日も行った。
また軍勢が割れた。
そして門前で止められた。
翌々日も同じ。
四十郎も意地になっていた。
羽柴兵の方も慣れてきた。
「四十郎殿、今日もか」
「今日もだ」
「通せぬぞ」
「まだ門まで行っていない」
「どうせ行くだろう」
「行く」
「なら先に言っておく。通せぬ」
「それでも行く」
兵がため息をつく。
そんなやり取りさえ始まった。
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清盛館では、黒田官兵衛が報告を聞いていた。
「今日も門前で?」
「止められました」
「昨日も?」
「はい」
「一昨日も」
「はい」
官兵衛は少し考えた。
そして言った。
「そろそろ、よろしいでしょう」
四十郎が首を傾げる。
「何がでございます」
「相手が慣れました」
少弐も官兵衛を見る。
「慣れた?」
「はい」
官兵衛は笑った。
「四十郎殿が荷駄を連れて現れる。兵が道を開ける。城門前で止める。四十郎殿が帰る」
羽柴兵にとって、それが日常になりつつある。
「こういう時は、緩急をつけます」
少弐が興味を示した。
「何をする?」
官兵衛は四十郎を見る。
「明日は荷駄を持たず、羽柴殿のところへ行ってくだされ」
「秀吉殿へ?」
「はい」
「何を聞くので?」
官兵衛は至極単純なことを言った。
「どこでなら商いをしてよいのか、聞いてきてくだされ」
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翌日。
四十郎は本当に一人で羽柴方へ向かった。
もはや顔を覚えられている。
「今日は荷駄がないのか」
「ない」
「珍しいな」
「羽柴殿に聞きたいことがある」
やがて秀吉のところまで通された。
秀吉は四十郎を見るなり顔をしかめた。
「今度は何だ」
「商いについてお尋ねしたく」
「三木城へは入れさせぬぞ」
「それは承知しております」
「……妙に素直だな」
「では、どこでなら商いをしてよろしいので?」
秀吉が黙った。
「何?」
「三木城へ直接入れるのが駄目なのは分かりました」
四十郎は紙を出した。
「では、どこまでならよろしいのでございます」
近隣の町は。
村は。
街道沿いは。
市は。
秀吉は面倒そうにしながらも、三木城への直接搬入を禁ずる範囲と、それ以外について回答した。
四十郎は念を押した。
「ここでは?」
「構わぬ」
「こちらの村は?」
「好きにせい」
「では、ここは?」
「四十郎!」
「後で揉めたくありませぬので」
秀吉は結局、一定の範囲を書き出させた。
最後には確認までさせた。
四十郎はその紙を大事に懐へ入れた。
「ありがとうございまする」
「もう来るな」
「それはお約束できませぬ」
「少弐のところにいると、皆そうなるのか!」
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四十郎が清盛館へ戻った。
「官兵衛殿」
「どうでした」
「いただいて参りました」
紙を渡す。
官兵衛は開いた。
少弐も横から覗く。
羽柴側が軍事上封鎖する範囲。
三木城へ直接入る道。
その外側にある町。
村。
市を開いても問題ない場所。
官兵衛は一度読み、
もう一度読んだ。
そして笑った。
「十分です」
四十郎にはまだ分からない。
「これで叔父上へ荷を届けられるので?」
「四十郎殿が届ける必要はございませぬ」
「では誰が?」
官兵衛は地図を広げた。
羽柴が商いを認めた町や村へ印をつけていく。
「ここで市を開きます」
「市?」
「はい」
兵庫津から米を運ぶ。
塩を運ぶ。
味噌。
干魚。
薬。
油。
布。
鉄。
普通に売る。
少弐が聞いた。
「誰に?」
「誰にでも」
官兵衛は答えた。
「播磨の百姓でも、商人でも、羽柴の兵でも構いませぬ」
そして四十郎を見る。
「もちろん――」
地図上の三木城を指した。
「三木城の者にも」
四十郎の目が大きくなった。
「城の者を外へ出す?」
「商いに来るだけです」
羽柴は三木城へ荷駄を入れることを禁じた。
しかし、自分で書いた紙では近隣の町や村での商いを認めている。
ならば少弐側が三木へ運ばなければよい。
三木の者が買いに来ればいい。
「買った後は?」
四十郎が尋ねた。
官兵衛は平然と答えた。
「買った者の品です」
「それを三木城へ持ち帰れば?」
「三木と羽柴の問題ですな」
少弐が吹き出した。
「官兵衛」
「はい」
「ひどいな」
「商いをしておりますだけにございます」
数日後。
三木近郊の、羽柴自身が商いを認めた町や村に、新しい市が立ち始めた。
兵庫津から大量の商品が運び込まれる。
最初は近隣の百姓が来た。
商人も来た。
羽柴兵まで銭を持って買いに来た。
そして、その人混みの中に――
三木城から出てきた者たちが混じり始めた。
米を買う。
塩を買う。
薬を買う。
一度に大量には持たない。
何人にも分ける。
買えば帰る。
羽柴兵が止める。
「その米は何だ」
「買った」
「どこで」
「そこの市で」
「誰から」
「兵庫津の商人から」
「…………」
確かに、市そのものは羽柴が認めている。
そのころ清盛館では、少弐が官兵衛へ尋ねていた。
「これ、いつまで通ると思う?」
「長くはありますまい」
官兵衛は即答した。
「秀吉殿は気づく」
「ではなぜやる」
官兵衛は笑った。
「気づかせるためです」
羽柴秀吉が市を止めれば、自分で認めた商いを自分で禁ずることになる。
市を認めれば、三木へ物が流れる。
どちらを選んでも、次の一手が生まれる。
三木城を巡る戦は、いつしか奇妙な形になっていた。
羽柴秀吉が城を囲む。
別所四十郎が商う。
少弐冬明が銭を出す。
そして黒田官兵衛が――
秀吉自身に、抜け道の場所を書かせていた。




