五日の押し問答――少弐冬明、羽柴秀吉の陣に座る
五日の押し問答――少弐冬明、羽柴秀吉の陣に座る
天正二年四月。
別所四十郎に案内させ、少弐冬明は三木を囲む羽柴勢の陣へ向かった。
連れているのは僅かな供だけ。
黒田官兵衛はいない。
少弐自身がそう決めた。
もし話が決裂する。
もし少弐が捕らえられる。
もし、最悪の場合ここで斬られる。
その時、兵庫津には軍勢を動かす者が必要だった。
だから官兵衛を残した。
少弐が持ってきたのは軍旗でも援軍でもない。
壊された荷の目録だった。
「羽柴秀吉殿にお会いしたい」
当然、最初は門前で止められた。
「何用か」
「商いの話だ」
「三木の?」
「違う」
少弐は四十郎を指した。
「この者は私の商屋に奉公する者だ」
次に帳面を見せた。
「私の奉公人が羽柴の兵に突き飛ばされ、怪我をした。そして私の銭で仕入れた売り物を壊された」
それだけだった。
三木城を救えとは言わない。
包囲を解けとも言わない。
織田と小田の話さえ、まだしない。
「店の主人として話をつけに来た」
結局、秀吉のところまで話が通った。
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「……また厄介なのが来おった」
秀吉は少弐を見るなり露骨に嫌な顔をした。
「お久しゅうございます」
「帰れ」
「まだ用件も申しておりませぬ」
「だいたい分かる」
「それは話が早い」
少弐は座った。
そして三つ要求した。
一つ。
四十郎を突き飛ばし怪我をさせた兵士本人から、四十郎への謝罪。
二つ。
その兵を指揮する羽柴秀吉からも、四十郎への謝罪。さらに破損した商品の全額弁償。
そして三つ目。
少弐は一枚の紙を差し出した。
秀吉の顔から笑みが消えた。
「何だ、これは」
「宣言書です」
内容は単純だった。
今後、別所四十郎および少弐の商屋に属する者が播磨国内で行う商いについて、羽柴勢は妨害せず、その商品を故意に破損・没収しない。
そして、
羽柴秀吉がこれを保証する。
最後には書判を入れる場所まで空けてある。
「ここへ書判を」
「馬鹿を申せ」
秀吉は紙を突き返した。
「四十郎の荷がどこへ向かっておったと思っている」
「三木です」
「分かっておるではないか!」
「はい」
少弐は平然としている。
「ですが羽柴殿がおっしゃったのでしょう。これは羽柴と別所の戦であって、小田との戦ではないと」
秀吉が黙った。
「私は小田の兵を一人でも連れて参りましたか?」
いない。
「羽柴の陣を攻めましたか?」
攻めていない。
「では何をしに来た」
「先ほど申しました」
少弐はまた紙を秀吉の前へ置いた。
「奉公人を怪我させられ、商品を壊された商屋の主として参りました」
そして書判を入れる場所を指した。
「お願いします」
「帰れ」
「書判を」
「せぬ」
「では待ちます」
「何を」
「羽柴殿が押すまで」
秀吉が少弐を見た。
冗談だと思った。
だが少弐は帰らなかった。
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一日目。
少弐は座っていた。
秀吉が軍議へ行けば待った。
戻ってくる。
「まだおるのか」
「はい」
「帰れ」
「書判をお願いします」
「断る」
二日目。
まだいる。
「少弐殿」
「はい」
「寝ておらぬのか」
「寝ておりません」
「寝ろ」
「書判をいただいたら」
秀吉が睨んだ。
少弐も見る。
秀吉には少弐を斬れない。
捕らえるのも危険だった。
織田と小田は停戦中。
しかも少弐は軍勢を率いていない。
刀を抜いてもいない。
ただ座って、
「奉公人への謝罪と商品の弁償をしてくれ」
と言っているだけである。
ここで少弐へ手を出せば、今度こそ少弐側に、
「羽柴が停戦中の小田の重臣を害した」
という大義名分を与える。
少弐はそれを承知していた。
だから命を賭けて座っていた。
三日目。
「書判を」
「押さぬ」
四日目。
「書判を」
「……おぬし、いい加減にせい」
「押していただければ終わります」
「三木へ米を運ぶのを黙って見ておれというのか!」
「私は商いの自由を保証してほしいと申しております」
「同じことだ!」
「では、その旨を紙に書いてください」
「書けるか!」
「ではこちらへ書判を」
「押さぬ!」
完全な堂々巡りだった。
四十郎の方が心配し始めた。
「少弐殿、少しお休みを」
「大丈夫だ」
「顔色が大丈夫ではございませぬ」
「まだいける」
そして五日目。
さすがに少弐の身体にも限界が近づいていた。
目は赤い。
声も掠れている。
それでも秀吉の前へ座る。
「……羽柴殿」
「何だ」
少弐は例の紙を出した。
「書判を」
秀吉は額を押さえた。
「おぬしは阿呆か」
「よく言われます」
「五日だぞ」
「はい」
「なぜ寝ぬ」
少弐は少し笑った。
「寝ている間に追い出されたら困りますので」
秀吉はしばらく少弐を睨んでいた。
やがて大きく息を吐いた。
「……兵を呼べ」
四十郎の表情が変わった。
だが呼ばれたのは、あの日四十郎を突き飛ばした兵だった。
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兵士は秀吉の前で四十郎へ頭を下げた。
「乱暴を働いたこと、詫びる」
四十郎は黙って受けた。
続いて秀吉自身も言った。
「我が兵のしたことだ。指揮する者として詫びよう」
そして破損した商品の目録を出させた。
米。
油。
器。
その他の品。
秀吉はその場で弁償させた。
少弐は一つ一つ確認した。
「確かに」
「これでよかろう」
秀吉が言った。
少弐は紙を差し出した。
「では書判を」
「それは別だ!」
五日目にして初めて、秀吉が本気で声を荒らげた。
「謝罪はする! 壊した物も払う! だが三木へ向かう荷駄まで保証できるか!」
「なぜです」
「戦をしておるからだ!」
秀吉ははっきり言った。
「別所と羽柴は戦をしておる。三木へ兵糧を入れようとする荷を止めぬなど、戦にならぬ!」
少弐はしばらく秀吉を見ていた。
そして紙を畳んだ。
「分かりました」
秀吉が目を瞬いた。
「……帰るのか」
「はい」
「本当に?」
「謝罪はいただいた。弁償もいただいた」
少弐は立ち上がった。
少しふらついた。
四十郎が慌てて支える。
「少弐殿!」
「大丈夫だ」
秀吉が呆れたように言った。
「帰って寝ろ」
少弐は振り返った。
「羽柴殿」
「今度は何だ」
「今日はありがとうございました」
「二度と来るな」
少弐は笑った。
「それは約束できません」
秀吉は心底嫌そうな顔をした。
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兵庫津へ戻ったころには、少弐はまともに立っているのも難しくなっていた。
清盛館では官兵衛が待っていた。
「少弐殿!」
「ただいま」
「五日も何をなさっていたのです!」
「交渉」
「交渉で五日寝ない者がありますか!」
「ここに」
「自慢なさらぬように」
少弐は座り込んだ。
四十郎が仔細を説明する。
兵士からの謝罪。
秀吉自身からの謝罪。
商品の全額弁償。
そこまでは取った。
しかし――
今後、三木へ向かう荷駄を妨害しないという保証だけは、秀吉が最後まで拒否した。
官兵衛は黙って聞いた。
少弐が言った。
「官兵衛」
「はい」
「紙を用意してくれ」
「まず寝てくだされ」
「書いてから寝る」
「何をです」
少弐は五日間持ち歩いた宣言書を卓へ置いた。
「これと同じもの」
官兵衛が紙を見る。
「また羽柴殿へ?」
「うん」
「五日粘って拒否されたものを?」
「だからだ」
少弐は疲れ切った顔で笑った。
「今度は書状で送る」
そして付け加えた。
「同じ内容でいい。一字も弱くするな」
官兵衛はしばらく主君を見ていた。
それから、ため息をついて硯を引き寄せた。
「承知いたしました」
「頼む」
「その代わり」
「うん?」
「今度こそ寝てくだされ」
「分かった」
少弐は立ち上がろうとして、四十郎に支えられた。
五日間の押し問答で得たものは、謝罪と弁償だけ。
三木への商路は、まだ開いていない。
だが羽柴秀吉は、自ら認めてしまった。
四十郎への暴力は謝罪すべきことであり、少弐の商品を壊せば弁償しなければならない。
残る争点は、ただ一つ。
その商品が三木へ向かう時、羽柴は止める権利を持つのか。
三木城攻めは、城壁の前だけで行われているのではなかった。
清盛館の机の上でも、まだ続いていた。




