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止められた荷駄――羽柴の最初の一手

天正二年三月――播磨。


三木城との商いが始まって、しばらくが経った。


別所四十郎は、すっかり二つの顔を使い分けるようになっていた。


一つは別所一族の末席としての顔。


もう一つは、兵庫津から三木へ品を運ぶ商いの顔である。


その日も荷駄を連れて三木へ向かっていた。


米。


塩。


味噌。


干魚。


油。


薬。


それに鉄や鉛など、城から注文された品々。


荷にはきちんと帳面が付いている。


誰が売ったものか。


いくらで買ったか。


三木側へいくらで渡すのか。


少弐から借りた銭も、一文まで記録していた。


「これなら文句は言われまい」


四十郎自身、そう思っていた。


だが――。


「止まれ!」


街道の先に兵が現れた。


四十郎が顔をしかめる。


羽柴勢だった。


すでに三木周辺の主要な道へ兵を出し始めているらしい。


槍を持った兵が道を塞ぐ。


「どこへ行く」


「三木へ」


「荷は?」


「商いの品だ」


「改める」


四十郎は止めなかった。


荷を見られる。


米。


塩。


味噌。


薬。


そして武具の材料。


兵たちの顔つきが変わった。


「これは通せぬ」


「なぜだ」


四十郎は分かっていながら聞いた。


「三木は羽柴勢が攻めている」


「知っている」


「ならば分かるだろう」


「分からぬ」


四十郎は帳面を出した。


「これは兵庫津で買った品だ。私は三木城へ売りに行く」


羽柴兵が睨む。


「敵城へ兵糧を入れることを商いとは言わぬ」


「では何という」


「利敵だ」


四十郎は少し考えた。


「私は別所四十郎だ」


「知っている」


「三木の別所長治は私の叔父にあたる。親族へ米を売りに行く。それの何が悪い」


「通せぬ」


「羽柴殿は、別所は独立した家だと申しているのだろう?」


兵たちが黙った。


四十郎は続けた。


「ならば別所が誰から米を買うかも、別所の自由ではないのか」


兵の一人が苛立った。


「我らに屁理屈を申しても仕方あるまい!」


「それはこちらの台詞だ」


険悪になった。


だが四十郎は刀へ手を掛けなかった。


後ろの者にも手を出させなかった。


ここで斬り合えば、すべてが変わる。


四十郎はしばらく羽柴兵を見た。


「……分かった」


意外にも、あっさり引いた。


「今日は帰る」


荷駄の者たちが驚いた。


だが四十郎は馬首を返した。


「戻るぞ」


荷を奪われる前に退いた。


その日は渋々、兵庫津まで引き返した。



---


清盛館。


「止められました」


戻るなり、四十郎は言った。


少弐冬明と黒田官兵衛が顔を上げた。


「早かったな」


少弐が言った。


「はい。羽柴勢が道を塞いでおります」


四十郎は帳面を卓へ置いた。


「荷は?」


「全部持ち帰りました」


官兵衛が頷いた。


「それでよい」


四十郎は街道で起きたことを、最初から説明した。


どこで止められたか。


兵は何人ほどだったか。


どんな旗だったか。


荷をどこまで調べられたか。


誰が何と言ったか。


官兵衛は細かく尋ねた。


「荷を奪うとは?」


「言われておりませぬ」


「銭を要求されたか」


「いいえ」


「小田の荷だから止める、と?」


「それもございませぬ」


「では何と?」


四十郎は答えた。


「敵城へ兵糧を入れることは許さぬと」


官兵衛が少し笑った。


少弐がその顔を見る。


「嬉しそうだな」


「ええ」


「なぜだ」


「羽柴殿が、一歩こちらへ来ました」


少弐にはまだ分からない。


官兵衛は説明した。


これまで秀吉の理屈は、


羽柴と別所との戦である。小田とは無関係。


だった。


ところが今度は、羽柴勢が兵庫津から三木へ向かう商取引へ介入した。


「まだ停戦違反と呼ぶほどではございませぬ」


官兵衛は慎重だった。


「戦場へ兵糧を運ぶ者を止めること自体は、戦をしている側からすれば当然とも申せます」


少弐も頷いた。


「そうだな」


「ですが重要なのは――」


官兵衛は四十郎を見る。


「四十郎殿が手を出さなかったことです」


羽柴兵を斬っていない。


突破もしていない。


荷も奪われていない。


ただ、商人の荷が羽柴軍によって通行を拒否された。


だから次はこちらから問いかけられる。


少弐が察した。


「秀吉に書状を送るか」


「まずは、それがよろしいでしょう」


官兵衛は紙を引き寄せた。


「喧嘩を売ってはなりませぬ」


「何と書く」


官兵衛は考えながら答えた。


「極めて丁寧に」


少弐が嫌な笑いを浮かべた。


「それが一番怒るやつだな」


官兵衛も笑った。


書状の趣旨は単純だった。


羽柴殿と別所殿との戦について、こちらから異議を申し立てるつもりはない。


そのうえで、


兵庫津の商人および別所四十郎が三木へ運んでいた私有の荷が、羽柴勢によって通行を止められたと聞いた。


そこで確認したい。


羽柴殿は三木城との戦のみならず、兵庫津の商人による播磨国内の商いについても禁止するお考えなのか。


少弐が読んだ。


「嫌だな、これ」


「何がでしょう」


「お前、本当に性格が悪い」


「褒め言葉として頂戴いたします」


四十郎が二人を見比べた。


「しかし……叔父上たちへの米は?」


そこが一番重要だった。


書状の返事を待っている間にも、三木では米が減る。


官兵衛は地図を広げた。


「同じ道をもう一度通っても、また止められます」


「では?」


官兵衛の指が街道を離れた。


川。


山道。


周辺の村。


そして別所に縁のある播磨国人。


「商いとは、街道一本でするものではございませぬ」


少弐が笑った。


「なるほど」


「次は荷を小さく分けましょう」


大きな荷駄列なら、誰が見ても三木への補給である。


ならば分ける。


一度に百俵ではなく十俵。


十俵ではなく五俵。


兵庫津から直接三木へ向かわせる必要もない。


途中の商家へ売る。


その商家が別の者へ売る。


さらに播磨の村々で米を買い集める。


「四十郎」


少弐が言った。


「忙しくなるぞ」


四十郎の顔にようやく笑みが戻った。


「望むところにございます」


「ただし」


官兵衛が止めた。


「絶対に羽柴兵とは争わぬこと」


「はい」


「斬られても?」


四十郎が少し困った顔をした。


少弐が口を挟んだ。


「その時は逃げろ」


「少弐殿……」


「死んだら叔父上を助けられないだろう」


四十郎は頭を下げた。


「承知いたしました」


その夜、清盛館から羽柴秀吉へ一通の書状が出された。


同時に別の部屋では、三木へ米を届けるための新しい道が検討され始めていた。


三木城攻めはまだ、槍と鉄砲だけの戦にはなっていなかった。


秀吉が道を塞ぎ、官兵衛が道を増やす。


兵庫津と三木を結ぶ、奇妙な兵糧戦が始まろうとしていた。

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