四十郎の叔父――三木を救う策・続
官兵衛の説明を聞き終えても、少弐冬明は地図から目を離さなかった。
三木。
兵庫津。
明石。
そして播磨各地に散らばる国人たち。
しばらくして、少弐がふと思いついたように言った。
「ならば――赤松氏を使うのはどうだ」
官兵衛が顔を上げた。
「と申されますと?」
「秀吉の理屈では、播磨守護は赤松氏なのだろう」
「左様です」
「なら赤松を守護として担ぎ、押し立てる」
少弐は駒を一つ取り、播磨へ置いた。
「我らが播磨を奪うのではない。守護たる赤松氏の求めに応じ、播磨の者たちが羽柴と戦う。これならどうだ?」
四十郎が期待するように官兵衛を見た。
だが官兵衛は、すぐには頷かなかった。
「……使えます」
「おお」
「ただし、今は使わぬ方がよろしいでしょう」
少弐が眉を上げる。
「なぜだ」
「大きすぎます」
官兵衛は地図の播磨全体を手で示した。
赤松氏を守護として正式に押し立てれば、話は三木一城ではなくなる。
播磨国そのものの支配を誰が認めるか。
そこまで争点が広がる。
「赤松の旗を掲げて諸国人へ檄を飛ばせば、羽柴殿も『別所との私戦』とは申せなくなります」
「こちらに有利では?」
「同時に、織田も引けなくなります」
少弐は黙った。
官兵衛は続ける。
「いま羽柴殿が持ち出している理屈は、むしろ我らに都合がよい」
別所は独立した家。
秀吉自身がそう言っている。
ならば別所が誰から米を買おうが、銭を借りようが、鉄砲を購入しようが、それもまた別所の自由だった。
「赤松殿は取っておきましょう」
官兵衛は言った。
「取っておく?」
「羽柴殿が播磨国人を次々と攻め始めた時にございます」
その時になれば、
これは羽柴対別所ではなく、播磨への侵攻である。
そう主張できる。
そこで初めて赤松氏を守護として前面に出せばよい。
「なるほど」
少弐は笑った。
「切り札か」
「左様です」
「では今は商売か」
官兵衛も笑った。
「商売でございます」
---
翌日、四十郎は再び清盛館へ呼ばれた。
少弐は小さな箱を一つ、四十郎の前へ置いた。
開ける。
銭だった。
「持っていけ」
四十郎が驚いた。
「これを?」
「貸す」
「いただけるのでは?」
「商売だからな」
少弐は真顔だった。
「返してもらう」
四十郎は思わず笑った。
「承知いたしました」
だが銭だけではない。
少弐は播磨の事情に詳しい者を何人か付けた。
商人。
荷駄の手配に慣れた者。
米の相場を知る者。
播磨国人との縁を持つ者。
武士ではあっても、今回は少弐の旗を掲げない。
あくまで四十郎が使う人間として貸し出す。
「まず叔父上たちと話せ」
少弐は念を押した。
「勝手に助けるのではない」
「はい」
「長治殿が戦いたくないというなら、逃がす策を考える。戦うというなら、その時初めて何が必要か聞く」
四十郎は深く頷いた。
「そして――」
少弐が笑った。
「商売してこい」
「叔父上と?」
「三木城とな」
---
四十郎は三木へ帰った。
久しぶりの故郷だった。
だが、昔とは違う。
城下には緊張が漂い、道には兵が行き交っている。
羽柴勢が迫っている。
城へ入った四十郎は、別所長治らの前へ通された。
長治は四十郎を見るなり驚いた。
「四十郎?」
「叔父上」
しばらく、言葉が出なかった。
最近はほとんど顔を見せていない。
兵庫津で忙しくしていることは伝わっていた。
「なぜ来た」
四十郎は頭を下げた。
「叔父上たちを助けに参りました」
長治の表情が険しくなる。
「少弐殿の使いか?」
「違います」
四十郎は首を振った。
「別所四十郎として帰って参りました」
そして少弐から言われた通りに尋ねた。
「叔父上」
「何だ」
「三木は、どうしたいのでございます」
長治はすぐには答えなかった。
四十郎も待った。
羽柴に降るのか。
戦うのか。
城を捨てるのか。
援軍を求めるのか。
やがて長治は言った。
「三木は渡せぬ」
四十郎は頷いた。
「では戦うのでございますな」
「そうなる」
「何が足りませぬ」
長治が四十郎を見る。
「何?」
「兵糧ですか。銭ですか。鉄砲ですか。薬ですか」
四十郎は少弐から借りた箱を置いた。
「少弐殿は兵を出せませぬ」
長治の顔が曇る。
「やはりか」
「織田との停戦がございます」
「分かっている」
「ですが」
四十郎は箱を開けた。
「商いなら出来ます」
長治が箱の中を見る。
銭。
「これは?」
「私が借りました」
「お前が?」
「はい」
四十郎は少し笑った。
「返さねばなりませぬので、叔父上にもきちんと払っていただきます」
長治は呆気に取られた。
そして、久しぶりに笑った。
「お前……商人になったのか」
「武芸も忘れておりませぬ」
「どちらなのだ」
「両方でございます」
---
その日から、奇妙なことが始まった。
兵庫津と三木城の商売である。
三木が必要な品を書き出す。
四十郎が受け取る。
米。
塩。
味噌。
干魚。
薬。
布。
縄。
油。
矢竹。
鉛。
火薬。
そして鉄砲。
少弐は直接与えない。
四十郎が買う。
三木が四十郎から買う。
必要なら少弐が四十郎へ銭を貸す。
兵庫津の商人も参加する。
播磨の商人も加わる。
一つ一つ帳面へ記された。
三木城御用。
だが少弐家の軍用物資ではない。
商売だった。
羽柴秀吉は三木城を攻めている。
それは秀吉の理屈では、
羽柴と別所の戦。
ならば三木城がどこから米を買おうと、それも別所の自由である。
少弐は兵を一人も送らなかった。
代わりに、米俵が動いた。
銭箱が動いた。
商人が動いた。
荷駄が動いた。
そして三木城の蔵が、少しずつ満たされていった。
---
数日後。
清盛館へ四十郎から最初の報告が届いた。
少弐と官兵衛が並んで読んだ。
長治は戦う。
必要なのは兵糧と武器。
そして可能なら周辺国人との仲介。
少弐は読み終えると、官兵衛を見た。
「商売が始まったな」
「はい」
「秀吉は怒るだろうな」
「怒るでしょう」
「止めるかな」
官兵衛は少し笑った。
「止めればよろしい」
「なぜ?」
「その時はこちらから尋ねればよいのです」
官兵衛は秀吉の書状を取り出した。
播磨は小田に関係なし。
そう書かれている。
「羽柴殿が三木と戦うのは自由」
官兵衛は言った。
「ならば――」
少弐も続けた。
「兵庫津の商人が三木と商売するのも自由、か」
二人は顔を見合わせた。
羽柴秀吉は城を囲み始めていた。
少弐冬明は兵を出さなかった。
その代わり、
三木城を巨大な『客』にしてしまった。
三木城攻めは、まだ始まったばかりだった。




