播磨は小田にあらず――三木からの急報
天正二年三月。
春になった途端だった。
兵庫津へ届く書状の数が、急に増えた。
最初の知らせは若狭からだった。
羽柴秀吉、西進。
少弐冬明は清盛館で報告を受けた。
「やはり動いたか」
驚きはしなかった。
二月、坂本城で明智光秀から聞いていた。
――羽柴殿が丹後方面へ抜ける策を考えている。
ただし光秀自身、
「知恵者ゆえ、ときおり私にも何を考えているのか分からない」
とも言っていた。
その言葉どおりだった。
秀吉は若狭から西へ動いた。
しかも本隊だけではない。
別働隊も出している。
一部は丹後方面へ向かっているらしい。
報告だけ見れば、光秀から聞いた話と一致する。
「丹後へ行くつもりだな」
清盛館でも、最初はそう判断された。
ところが――
違った。
秀吉は丹波へ入ると、そこで軍を休ませた。
そして兵を整え直した。
次に届いた報告を読んだ少弐は、しばらく黙った。
「……話が違う」
丹後ではない。
秀吉の軍勢が向きを変えた。
播磨。
後世でいうところの三木城攻めが、この世界では天正二年三月に始まろうとしていた。
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清盛館では連日のように評定が開かれた。
西から。
京から。
丹波から。
三木から。
書状が飛び交った。
その中に、羽柴側の主張を記したものがあった。
少弐は皆の前で読み上げさせた。
秀吉の理屈は、妙に筋が通っていた。
現在、織田と小田は停戦している。
したがって織田軍が小田の領域へ攻め込めば、当然ながら停戦を破ったことになる。
だが――播磨はどうか。
播磨には赤松氏がいる。
形式上、播磨守護は赤松氏である。
そして三木を治める別所氏についても、
「赤松氏の家臣としてではなく、独立した家である」
という理屈を秀吉は持ち出した。
つまり、
赤松は小田ではない。
別所も小田ではない。
ゆえに――
播磨で羽柴と別所が戦おうが、織田と小田の停戦には関係がない。
「……なるほど」
誰かが呟いた。
別の者が吐き捨てた。
「屁理屈ではないか」
「屁理屈だな」
少弐も認めた。
だが、書状をもう一度見た。
「ただし、よくできた屁理屈だ」
ここが厄介だった。
秀吉は兵庫津を攻めていない。
小田の旗を掲げる軍勢にも攻撃を仕掛けていない。
あくまで、
羽柴家と播磨国人との戦。
そういう形にしている。
少弐は腕を組んだ。
「こちらが兵を出した瞬間、今度は向こうから言える」
――小田が先に停戦を破った。
「面倒なことを考える」
清盛館の卓には播磨の地図が広げられていた。
三木。
明石。
加古川。
兵庫津。
有馬。
そして北へ続く街道。
少弐は三木の位置をじっと見た。
近い。
近すぎる。
「播磨は小田ではない、か」
言葉だけならそうである。
だが兵庫津のすぐ西で大軍が動けば、そんな理屈で済むはずがない。
三木が落ちれば次はどこか。
明石か。
有馬か。
それとも北播磨か。
しかし今こちらから兵を出せば、秀吉の思う壺になる可能性もある。
評定の誰もが、簡単には口を開けなかった。
その時だった。
廊下を走る音がした。
「少弐殿!」
声が近づいてくる。
襖が開いた。
「少弐殿!」
飛び込んできたのは四十郎だった。
息を切らしている。
明らかに尋常ではない。
「どうした」
少弐が立ち上がった。
四十郎はその場に膝をついた。
「お願いがございまする!」
「まず息を整えろ」
だが四十郎は聞かなかった。
床へ手をついた。
「叔父上たちを――」
声が震えた。
「叔父上たちを、お助け申す!」
部屋が静まり返った。
少弐は何も言わなかった。
四十郎が頭を下げる。
「三木が攻められております」
もう一度。
「どうか……叔父上たちを!」
少弐は卓上の地図へ視線を落とした。
三木城。
そして、その隣には羽柴秀吉の進路を示す駒が置かれている。
二月に明智光秀が教えてくれた話とは違った。
丹後を目指すように見せた。
別働隊までそちらへ向けた。
丹波で休息した。
そして突然、播磨へ向きを変えた。
さらに、
「播磨は小田ではない」
という理屈まで用意している。
戦場だけではない。
政治まで含めて、秀吉は先に手を打っていた。
少弐はしばらく三木を見ていた。
やがて四十郎へ尋ねた。
「叔父上というのは――」
そこで言葉を止める。
四十郎が顔を上げた。
少弐は静かに言った。
「最初から聞こう」
そして席を示した。
「三木で、何が起きている」
清盛館の空気が変わった。
三月。
羽柴秀吉による三木攻めが、始まった。




