北辰丸、南へ――南海先遣隊
天正二年二月、有馬。
ライラに、
「雲丸をどうするの!」
と怒られた翌日。
少弐冬明は、さすがに自分でジャワへ行くことは考え直した。
少なくとも、今すぐは。
しかし、何もしないという選択肢もなかった。
義浄の記録。
室利仏逝。
今井宗及から聞いた南海の古寺。
ライラが知っていた、ジャワやスマトラに残る古い寺院や、打ち壊された像の噂。
これだけ重なれば、調べる価値はある。
「先に人だけ出そう」
少弐はそう決めた。
本来ならば、須知を動かしたかった。
各地を歩かせ、現地の人間から話を拾わせるなら適任である。
だが――やめた。
「畿内が少し臭う」
少弐は地図を見ながら呟いた。
安土からの帰り、明智光秀から聞いた秀吉の動きも気になっている。
播磨も安心できない。
つい先日、少弐自身が堺の今井宗及へ鉄砲をまとめて発注したばかりだった。
鉄砲を買い集めながら、情報を集める人間まで南海へ送る。
それでは自分で畿内の異変に備えている意味がない。
須知は残す。
では、誰を出すか。
そこで少弐は、ちょうど有馬へ帰ってきていたマリアを見た。
「マリア」
「嫌な予感がする」
「まだ何も言ってない」
「冬明がそういう呼び方をするときは仕事」
横でライラが笑った。
少弐も否定しなかった。
「ポラールを遊ばせておくのは、もったいないと思わないか?」
マリアの表情が変わった。
高速外洋船ポラール――北辰丸。
エスペランサはユニコーン調査の最後の確認のため、遠くデンマークへ向かっている。
しかしポラールは日本側に残っている。
「船を貸せと?」
「いや」
少弐は首を振った。
「船と、手の空いている者を借りたい」
マリアは話を聞くことにした。
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少弐自身は行かない。
マリアも、これから堺の兵学館で教える仕事がある。
だから、これまでの航海に関わった船員の中から、当面仕事の空いている者を募る。
強制ではない。
行く者には少弐が別途報酬を出す。
目的も明確にした。
ジャワとスマトラの調査。
ただし交易品を買い集める航海ではない。
「昔、仏法が栄えた土地を探してほしい」
少弐は言った。
古い寺。
廃寺。
石仏。
土地に残る昔の宗教の伝承。
壊された仏像。
そして――
一度壊れた後、誰かが拾い、修復して再び祀った仏があるか。
これを最優先で探す。
「持って帰ってくる必要はない」
少弐は強調した。
「まず場所を見つけてくれ」
誰が所有しているのか。
土地の者はどう考えているのか。
譲渡が可能なのか。
交換なら何を求めるのか。
寺院なら誰と交渉すればよいのか。
可能なら簡単な絵図も作る。
「勝手に仏を持ってくるなよ」
少弐が念を押した。
「それをやったら、比叡山へ持っていくどころではなくなる」
マリアが頷いた。
「調査だけ」
「そう」
ライラが横から言った。
「本当に?」
「本当です」
「冬明が乗らない?」
「乗りません」
ライラはようやく少し安心した。
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そして少弐には、もう一つ手があった。
昔、鹿島衆が南海航路へ早くから手を伸ばした際、いくつかの土地に伝手を作っていた。
ブルネイ。
そしてマラッカ。
どちらにも、普通の港町とは少し違う場所があった。
商人がいる。
漁師がいる。
密貿易をする者がいる。
時には海賊まがいの船まで出入りする。
国の役人だけを相手にしていては聞けない話が集まる、いわば海賊の集落をそのまま町にしたような場所だった。
鹿島衆は早い時期から、そうした連中に酒を渡し、交易をし、困った時には船を助け、少しずつ関係を作っていた。
少弐はそこへ紹介状を書いた。
一通はブルネイ方面。
もう一通はマラッカ方面。
内容は簡単だった。
この書状を持つ者は、少弐冬明の依頼によって南海の古い寺院を調べる者である。鹿島衆との旧交により、知る限りの案内人、通訳、古い土地の事情を知る者を紹介してほしい。相応の礼は支払う。
書き終えた少弐は、それをマリアへ渡した。
「ここを頼れば、いきなり知らない港へ入るよりはいい」
「ジャワへ直接行かないの?」
「まず情報を買う」
少弐は地図を指した。
「ブルネイでもマラッカでもいい。ジャワやスマトラへ何度も行った船頭を捕まえてくれ」
港の役人より、何十年も島々を渡り歩いた老船頭の方が、古寺の噂を知っている可能性がある。
「それから現地へ入る」
マリアが少し笑った。
「北でも同じことをしていた」
「知らない土地で最初に地図だけ信じると迷いますからね」
「地図を作る人が言う?」
「だから知っています」
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数日後。
兵庫津ではポラールの出航準備が始まった。
水。
保存食。
交易用の布。
鉄器。
酒。
薬。
銀。
そして少弐から渡された紹介状。
さらに興福寺で写させてもらった記録から、南海の古い仏教国について必要な部分だけを書き抜いた紙も積まれた。
少弐は最後に調査項目を渡した。
探すのは宝ではない。
金でもない。
珍しい仏具でもない。
「昔、仏法が栄えた場所」
そして、
「壊れた後も、人の手によって再び祀られた仏」
だった。
ポラールが兵庫津を離れていく。
少弐は岸からそれを見送った。
今度は自分が甲板に立っていない。
「珍しいな」
隣にいたライラが言った。
「何が?」
「船だけ行った」
「私だって学習しますよ」
「雲丸のおかげ」
少弐は否定しなかった。
まだ南海へ行く必要はない。
まず、人を送る。
話を集める。
場所を確かめる。
それから考えればいい。
そしてポラールは、北方を駆けた船から一転して、今度は南へ船首を向けた。
目指す先は――
スマトラとジャワ。
七百年前、義浄が記した南海仏教世界の痕跡を探す旅が、少弐本人の知らない海で始まろうとしていた。




