天竺までは御免――堺の今井宗及
天正二年二月。
兵庫津へ戻ってからしばらくして、少弐冬明は堺へ出た。
比叡山から頼まれた品について調べることも目的の一つだったが、それだけではない。
神戸では人も物も増え続けている。
播磨の情勢も落ち着かない。
清盛館の周囲では新しい蔵や集会所の計画が進み、海老屋には沈没船を調べるための特注船まで頼んでいる。
必要なものはいくらでもあった。
そこで堺でまとめて買い付けることにしたのである。
訪ねたのは今井宗及だった。
挨拶を済ませると、宗及は早々に笑った。
「いやはや、近頃は近衛様も鷹司様も、神戸の商いに夢中だそうですな」
少弐が眉を上げた。
「もう堺まで聞こえていますか」
「聞こえぬ方がおかしいでしょう」
公家まで兵庫津の商いへ関わる。
京から人が来る。
西国から船が来る。
朝鮮や南蛮の品まで動く。
堺の商人が知らないはずがなかった。
少弐は少し考えてから言った。
「今井殿も一枚噛みますか」
宗及の目が細くなった。
「神戸に?」
「ええ。入ってくれるなら、こちらからも仕事を流しますよ」
少弐としては本気だった。
今井ほどの商人が加われば、堺との物資調達はさらに楽になる。
ところが宗及は即答した。
「お断りいたします」
「早いですね」
「相手が少弐殿ですからな」
「私だから?」
宗及は真顔で頷いた。
「神戸へ一枚噛んだ翌月には、朝鮮へ行けと言われ」
指を一本立てる。
「その次には呂宋へ行けと言われ」
もう一本。
「最後には天竺まで買い付けに行かされそうです」
少弐が笑った。
「そこまでは言いませんよ」
「その顔で言われても信用できませぬ」
「では天竺の手前まで」
「なお悪い」
二人は笑った。
もっとも少弐も商談そのものを遊びに来たわけではない。
やがて帳面を開いた。
「では普通の商いをしましょう」
「それがよろしい」
「鉄砲が入り用です」
宗及の表情が商人のものに変わった。
「どれほど?」
少弐は必要数を告げた。
「堺にある在庫は?」
宗及が手代を呼ぶ。
いくつか確認させた後、手元の帳面と照らし合わせた。
完成品としてすぐ動かせるもの。
別の商家が押さえているもの。
銃身だけ出来上がっているもの。
仕上げを待っているもの。
さらに職人へ急がせれば追加できる数。
それらを一つずつ確認していく。
「この程度でしたら、まず手元の分を先に神戸へ」
宗及が数字を示した。
「残りは職人へ急がせましょう」
「最短なら?」
「無茶を言わなければ、この辺り」
「無茶を言ったら?」
宗及が少弐を見る。
「値が上がります」
「では少々無茶を」
「そう仰ると思いました」
条件を詰める。
鉄砲だけではない。
火薬。
鉛。
火縄。
修理部品。
少弐は必要なものをまとめて押さえた。
商談が一段落したところで、宗及がふと思い出したように言った。
「そういえば」
「まだ何か売ってくれるのですか」
「逆です。少弐殿が探しているものの話です」
少弐が顔を上げた。
宗及は茶を一口飲んだ。
「仏の品を探しているそうですな」
「耳が早い」
「商人ですので」
「比叡山から妙なものを頼まれましてね」
少弐は簡単に説明した。
高価なだけでは駄目。
珍しいだけでも駄目。
見た者が仏心を抱くようなもの。
宗及はしばらく黙って聞いていた。
「難儀な注文ですな」
「でしょう?」
「比叡山にない仏具を、堺で探せと言われても困ります」
「私もそう思っています」
宗及は少し考えた。
「ただ――」
少弐を見る。
「南蛮商人から、妙な話を聞いたことがあります」
「南蛮?」
「南の海です」
宗及は指で卓上に大まかな位置を描いた。
明より南。
呂宋よりさらに西南。
マラッカ。
須門答剌。
爪哇。
そのあたりを往来する商人たちから聞いた話だという。
「今では回教徒の多い土地にも、昔は仏法が盛んだったところがあるとか」
少弐の表情が変わった。
「仏教が?」
「私は坊主ではありませんから詳しいことは知りませぬ」
宗及は肩をすくめた。
「ですが古い石寺が残っている土地があるそうです」
「石寺」
「ええ」
山中。
森の中。
昔の王が建てた巨大な寺。
仏像が並ぶ廃寺。
土地の者が今でも知っている古い仏。
話す商人によって内容は違ったという。
宗及自身も、これまで大して気に留めていなかった。
堺で売れる品の話でもない。
だが、少弐の話を聞いて思い出した。
「どこです?」
「爪哇あたりだったと思いますがな」
「爪哇……」
少弐は繰り返した。
「その話をした商人は、まだ堺に?」
「本人はもうおりません。ただ、その筋の南蛮商人なら辿れるでしょう」
少弐は黙った。
義浄。
南海。
天竺へ向かった僧たち。
古い仏教国。
そして今井宗及から出てきた、南海の古寺の噂。
別々に集めていた話が、少しずつ同じ方向を向き始めている。
宗及はそんな少弐の顔を見て、嫌そうな顔をした。
「……その顔です」
「何がです?」
「だから神戸の商いには加わりたくないのですよ」
「まだ何も言ってませんよ」
「次は『爪哇へ行ってくれ』でしょう」
「今井殿」
「嫌ですぞ」
「まだ頼んでません」
「その次が天竺だ」
少弐はとうとう声を上げて笑った。
宗及も苦笑する。
鉄砲を買い付けに来ただけのはずだった。
それなのに帰るころには、少弐の帳面に新しい言葉が一つ増えていた。
爪哇。
そして、その横には小さく、
「南海・古き仏寺あり」
と記されていた。




