北浦評定、百年農政
氏治が小田勢と下野衆を率いて北条への援軍として西へ向かう頃、北浦では常陸衆だけによる評定が開かれていた。
集まったのは、真壁幹久、真壁幹永、大掾幹家、宍戸政繁、水戸頼治、鹿島政道、そして記録役として招かれた治彦である。
氏治は出陣に際し、
「治彦、お前は北浦へ向かえ。皆の議論を記し、必要があれば知恵も貸してやってくれ。」
と言い残していた。
北浦獣医学舎の庭には、朝鮮から渡来した韓牛、坂東で育った坂東牛、両者を交配して生まれた若い牛、そして南方から導入された水牛が並んでいた。
幹永は若い牛を見ながら帳簿へ新たな名を書き加える。
「坂東肉牛。」
その名を見た幹家は満足そうに頷いた。
「いよいよ新たな品種が育ち始めたな。」
しばらく牛を眺めた後、幹久が弟へ声を掛ける。
「幹永、お前は一人で考え過ぎるところがある。」
幹家も笑う。
「昼は牧場、夜は帳面。氏治様にも負けぬ考え好きだ。」
幹永は照れ笑いを浮かべながら、一枚の地図を広げた。
「牛は一か所へ留めるものではありません。」
「坂東は南北に長く、気候も違います。」
「春から夏は北へ。」
「秋から冬は暖かな南へ。」
「季節とともに牛を移動させる越夏・越冬の放牧を行いたいのです。」
鹿島政道が腕を組む。
「牧草を追って移動させるのか。」
「はい。」
幹永は街道を指差した。
「何百頭もの牛が毎年同じ道を歩けば、地面は自然と踏み固められます。」
「草も食み、牛糞は肥となる。」
「牛は歩くだけで街道を整え、農地を豊かにするのです。」
一同が感心する中、治彦が口を開いた。
「現代でも、人や車が繰り返し通ることで道は締まります。」
「さらに街道沿いに一定間隔で牧場や休憩所を置けば、牛の管理も荷の輸送も楽になります。」
幹永は目を輝かせた。
「なるほど……牛の宿場ですか。」
幹久は笑った。
「二人とも、また面白いことを考え始めたな。」
議題は坂東農業公社へ移る。
宍戸政繁が巻物を広げた。
「農業公社は大きくなり過ぎました。」
「開墾、稲作、栗、琉球芋、牧畜、薬草、加工まで、一つの役所では手が回りません。」
幹家も頷く。
「下総だけでも現地で決めたい案件が山積みだ。」
幹久は静かに結論を告げた。
「坂東農業公社を三部門へ改める。」
「農業部門。」
「牧畜部門。」
「加工部門。」
「さらに、本部を北浦に置き、下総へ分社を設ける。」
治彦も帳面へ書き込みながら頷いた。
「専門ごとに分けたほうが、記録も人材育成もしやすくなります。」
最後に政繁がもう一枚の報告書を取り出した。
「琉球芋について、新しい発見があります。」
「北浦や常陸北部のような冷涼な土地で育てたものは、暖かな土地ほど収穫量は多くありません。」
「しかし甘味が濃く、保存した後はさらに味が良くなるようです。」
治彦も試食した芋を思い出しながら言った。
「収穫量だけではなく、品質にも土地の個性が出ています。」
「暖かな土地では量を、冷涼な土地では甘味を追う。」
「同じ作物でも育て方を分けるべきでしょう。」
幹家は満足そうに笑った。
「坂東は南北に長い。」
「その違いを強みに変えるのだ。」
評定の最後、六人と治彦は氏治へ送る建白書をまとめた。
そこには、
一つ、牛の越夏・越冬による移動放牧を始め、街道整備と牧畜を一体化すること。
一つ、坂東農業公社を農業・牧畜・加工の三部門へ再編し、本部を北浦、分社を下総に置くこと。
一つ、琉球芋は地域ごとの特性を生かし、暖地では収量を、寒冷地では甘味と品質を追求すること。
以上三案が記されていた。
治彦は巻物を閉じ、静かに呟く。
「氏治なら、きっと笑って『全部やろう』と言うだろうな。」
その言葉に評定の間は笑いに包まれた。
戦は西で続いていた。
しかし坂東では、人も牛も、そして大地もまた、百年先を見据えて歩み続けていた。




