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春の実りと古の酥

春を迎えると、石岡・真壁一帯では昨年植えたジャガタラ芋が一斉に収穫の時期を迎えた。

畑を掘るたびに大きな芋が土の中から姿を現し、百姓たちは歓声を上げる。

「これは見事な出来だ!」

収穫の様子を見守っていたルソンとシャムの傭兵たちも満足そうに頷いた。

「日本の土でも十分育ちます。」

「ただし、一つだけ気を付けてください。」

傭兵は掘り上げた芋の芽を指さした。

「芽には毒があります。食べれば腹を壊しますから、必ず取り除いてください。」

その教えはすぐに村々へ伝えられ、収穫した芋は蒸され、焼かれ、皆で試食された。

「うまい。」

「腹持ちも良い。」

「これなら飢饉にも耐えられる。」

真壁幹久は満足そうに頷いた。

「食べる分を除き、良い芋は種芋として蔵へ納めよ。」

「来年は石岡・真壁一帯でさらに作付けを広げる。」

こうしてジャガタラ芋は、わずか一年で坂東の新たな主食となる兆しを見せ始めた。

一方、放牧地では羊毛の刈り取りも始まり、豚の飼育頭数も着実に増えていた。

屠殺場、加工場、肉卸市場、毛織物工房――。

建設中の施設が完成すれば、畜産は一気に本格化する。

真壁は地図を見つめながら静かに言った。

「芋は早くも軌道に乗った。」

「豚も羊毛も、あとは施設が整うのを待つばかりだ。」

家臣たちも力強く頷く。

その日の夕刻。

真壁の館では今後の計画について評議が開かれていた。

そこへ、女中が青ざめた顔で一つの瓶を抱えて駆け込んできた。

「申し訳ございません!」

「牛乳の入っていた瓶と間違えて、お酢を入れてしまいました……。」

部屋の空気が止まる。

真壁は瓶を受け取り、中を覗き込んだ。

牛乳は白い塊となり、透明な液と分かれている。

女中は震えながら頭を下げた。

「大切な牛乳を無駄にしてしまいました……。」

しかし真壁は女中を責めなかった。

固まった乳を見つめながら、どこか懐かしそうに目を細める。

「……そうか。」

「鹿島で修行していた頃のことだ。」

家臣たちが顔を上げる。

「まだ若かった私は、鹿島神宮で武芸の鍛錬を積んでいた。」

「ある日、年配の神官から古い話を聞かされたことがある。」

『昔、唐には乳を固めて作る""という食べ物があったという。今ではほとんど伝わっておらぬが、古の貴人が口にした珍味だそうだ。』

「そんな話だった。」

真壁は箸で白い塊をそっと持ち上げた。

「もしこれが、その酥に近いものなら……。」

女中はなおも俯いたままだった。

「ですが、私の失敗で……。」

真壁は穏やかに首を横へ振る。

「違う。」

「お前は失敗を隠さず、すぐに持ってきた。」

「だから私は昔聞いた話を思い出せた。」

そして館中を見渡して静かに告げる。

「人は失敗をする。」

「だが、失敗を隠せば損になる。」

「正直に申し出れば、それは知恵へと変わる。」

「この女中を責める者はおらぬ。」

「むしろ、新しい食べ物を見つけるきっかけを作った功労者だ。」

張り詰めていた空気が和らぐ。

女中は涙を浮かべながら深く頭を下げた。

真壁は固まった乳を少しだけ口に運んだ。

しばらく味わった後、小さく笑みを浮かべる。

「……うむ。」

「これは食える。」

「いや、なかなか旨い。」

家臣たちも恐る恐る口にし、その風味に驚いた。

真壁は静かに命じる。

「牛乳と酢で試し、塩でも試せ。」

「作り方を書き留めよ。」

「もし安定して作れるなら、石岡・真壁の新たな名産になる。」

春の実りがもたらしたのは、豊かな芋畑だけではなかった。

一人の女中の小さな失敗から、古の書物にのみ残る乳の珍味「酥」が、再び坂東の地によみがえろうとしていた。

この流れなら、次の話では氏治が石岡を視察し、「食料・畜産・乳製品」の三本柱が整いつつあることを高く評価する場面へ自然につなげられます。

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