悪いカムイの始末と、ペナウシの客人
熊を仕留めたのは、すでに午後三時を過ぎたころだった。
二月末の室蘭では、日が傾き始めれば寒さも急に厳しくなる。しかも相手は、ペナウシコタンで老人を襲った熊である。
その場で慌ただしく処置を決めるべきではない――長の判断で、その日は熊を安全な場所に置き、見張りを立てて引き上げることになった。
翌日。
室蘭の長の家には、再び大勢の男たちが集まった。
室蘭の戦士。
ペナウシコタンの戦士。
エカシロ、シレトク。
そして少弐たちもいる。
議題の一つは、当然ながら昨日仕留めた熊をどうするかだった。
ところが、これについては驚くほど話が早かった。
ペナウシの戦士が最初に言った。
「俺はいらん」
「肉か?」
「全部だ。肉も皮もいらん」
別の男もすぐに同意する。
「俺もだ」
「人を襲った悪いカムイだぞ」
「そんなものを家へ持ち帰りたくない」
室蘭側からも異論は出なかった。
普通の熊なら話は違う。
肉も貴重であり、毛皮にも価値がある。せっかく仕留めた大きな獲物を丸ごと処分するなど、もったいないという考えも当然ある。
だが今回ばかりは誰も欲しがらなかった。
ペナウシの老人を襲った熊である。
しかも追われながら室蘭方面へ移動し、人里に近い海岸で漁具まで荒らしていた。
長が皆を見回した。
「では決まりだな」
何人かが頷く。
「悪いカムイだ」
「肉も食わない」
「毛皮も使わない」
「残さず処分しよう」
それで決まった。
少弐も口を挟まなかった。
これは彼らの土地のことであり、彼らが悪いカムイと判断した熊である。
その日のうちに男たちが出て、熊は決めたとおり処分された。
肉も毛皮も利用しない。
誰かの戦利品にもならなかった。
これで一件は終わった。
――と思っていた少弐に、もう一つ話があった。
会議が終わり、人々が少しずつくつろぎ始めたころだった。
ペナウシの戦士の一人が少弐のところへやって来た。
「冬明」
「なんだ?」
男は少し言いにくそうに頭を掻いた。
やがて仲間を見る。
何人かも集まってきた。
「昨日……いや、その前の日だ」
「うん?」
「お前が川を見ると言っただろう」
少弐は思い出した。
皆が山を探すと言っている中、自分だけが川へ下りると言ったときだ。
「言ったな」
「あのとき俺たち、笑った」
「ああ」
「悪かった」
少弐は少し驚いた。
男は続ける。
「正直に言う。和人だから、この辺の山のことなんか分かるものかと思っていた」
別の戦士も頷く。
「俺もだ」
「山のカムイのことなら俺たちの方が知っている。お前が何を言っているんだと思った」
少弐は苦笑した。
「それは間違っていないぞ」
「何?」
「山についてなら、今でもお前たちの方が俺よりずっと詳しい」
実際そうだった。
少弐自身、最初からそれを認めていた。
だから山を彼らに任せたのである。
「俺は山を知らない。だから別のところを見ただけだ」
ペナウシの男は少弐をしばらく見ていた。
そして笑った。
「そういうところだ」
「何が?」
「知恵者だと言っている」
別の男が付け加える。
「勇敢でもある」
するとエカシロが横から口を挟んだ。
「勇敢というより無茶だ」
「おい」
少弐が振り向く。
エカシロは構わず続けた。
「山のカムイの前へ出て、大声で吠えて杖を振り回したんだぞ」
ペナウシの男たちが笑い出した。
「あれは驚いた!」
「俺も何を始めるのかと思った」
「熊より大声だったぞ」
少弐は少し不満そうに言った。
「誰かが注意を引かなければ撃てなかっただろう」
「だから勇敢だと言っている」
「無茶だとも言っている」
「両方だな」
また笑いが起きた。
少弐も今度は笑った。
一人の戦士が少弐の肩を叩く。
「和人だからと侮った。悪かった」
そして少し考え、
「無茶をするが、勇敢で知恵のある男だ」
と言った。
別の男が笑う。
「カムイに好かれる男なんだろう?」
シレトクが以前そう説明したことまで伝わっていたらしい。
少弐は顔をしかめた。
「今回のを見ると、好かれているというより狙われている気がするが」
これには長まで笑った。
やがてペナウシの戦士が言った。
「今度は俺たちのコタンへ来い」
「ペナウシへ?」
「ああ。今度は熊を追いかけるためじゃない」
別の男が続ける。
「酒を飲むためだ」
「それなら歓迎する」
少弐が即答した。
「熊より話が早いな」
「熊より酒の方が好きだからな」
また笑い声が上がった。
こうして、悪いカムイをめぐって緊張していた室蘭とペナウシの男たちの間に、思わぬ交流が生まれた。
後日、少弐たちを招いて、改めてペナウシコタンとの懇親の宴を開くことが決まった。
熊を仕留めた英雄としてではない。
山を知らないことを認めながら別の道を考え、最後には危険な場所へ自分から立った、少々無茶な客人として。
少弐冬明という和人は、ようやくペナウシの男たちからも仲間として酒を酌み交わしてみたいと思われるようになったのである。




