正月評定の翌朝――大掾に託した五十貫
正月評定が終わった翌朝、少弐は出航の準備を急がせていた。
評定で決まった北方交易品はすでに手配が始まっている。
だが、それとは別に必要なものがあった。
出航直前、少弐は大掾幹康を呼び、評定とは別口の品を書き付けた紙を渡した。
「大掾殿。交易品とは別に、これを用意して室蘭まで持ってきてください」
大掾が目を通す。
まず――金五十貫。
商館用地の利用、建物、蔵、船着場、現地で雇う者への支払い、贈答、そして当面の運転資金にする。
次に――医薬品一式。
外傷薬、腹薬、解熱に使える薬種、消毒や洗浄に用いる酒、包帯用の布など、北方で長期駐在できるだけの量をまとめて運ぶ。
そして最後が――医師二名と、その家族だった。
「家族?」
大掾が顔を上げる。
「本人だけ連れてこないでください」
少弐は念を押した。
「室蘭に一家族。もう一家族はいずれ樺太へ連れていきます。北で暮らす意思があり、妻子も納得している者を探してください」
「樺太まで家族ごととなれば、人選には時間がかかりますぞ」
「構いません。金を弾んでください」
少弐は即答した。
「家財も運びます。住居はこちらで用意する。俸禄も普通より多く出す。それでも行きたいという者だけでいい」
医者の腕についても注文した。
外傷を診られること。
薬を調合できること。
そして何より、現地の人々を見下さないこと。
「向こうへ医学を教えに行くのではありません。シレトクたちから薬草や寒い土地での暮らし方を教わるくらいの者がいい」
大掾は書付を読み返した。
「五十貫、医薬品、それに医師二家族……。承知しました」
そこで少弐は、もう一つ念を押した。
「それから――これは必ず、大掾殿自身が持ってきてください」
「私が?」
「はい」
ここだけは代理では駄目だった。
室蘭でこれから行うのは、単なる買い物ではない。
小田の海軍奉行である大掾幹康本人が船を率いて現れ、金と品物を運び、現地の有力者と顔を合わせる。
それ自体が外交だった。
少弐は説明する。
「俺が五十貫持っていって家を建てるのと、小田の海を預かる大掾殿が船でやってきて『ここを大切な港として扱う』と示すのでは、意味が違います」
大掾もそこで察した。
「なるほど。小田が本気で北との付き合いを始める、と見せるわけですな」
「そういうことです」
さらに、室蘭の人々にとっても意味がある。
これまで少弐たちは珍しい旅人だった。
しかし次に現れるのが小田の海軍を預かる大掾であり、その船に医師一家や薬、金、交易品まで積まれている。
それを見れば、
少弐という男個人との付き合いから、小田という勢力との継続的な付き合いへ変わった
ことが目に見える。
だから代理人では意味が薄い。
「大掾殿でなくては駄目です」
少弐はもう一度言った。
大掾は笑った。
「そこまで言われては、行かないわけには参りませんな」
「お願いします」
もっとも、急がせるつもりはなかった。
医師を二人探し、それぞれの家族にも納得してもらう必要がある。薬も大量に揃えなければならない。北へ向かう船の準備も必要になる。
少弐は立ち上がった。
「ゆっくりで構いません」
「いつまでに?」
「春になる前に室蘭へ来てください。それだけです」
「承知しました」
大掾は書付を懐へ入れた。
その日のうちに少弐たちは出航した。
大掾を待つことはしなかった。
少弐には少弐の仕事がある。
室蘭へ先行し、シレトクの縁を頼りながら土地の者たちと話をつけ、商館を置く場所を探しておかなければならない。
一方、大掾は後からやってくる。
金五十貫。
医薬品。
二組の医師一家。
評定で決定した交易品。
そして、小田海軍を預かる者自身が率いる船。
それらが室蘭へ姿を現した瞬間こそ、少弐が考える**「北方交易」が個人的な冒険から小田の事業へ変わる瞬間**になる。
港を離れながら、少弐は大掾に最後に言った言葉だけを繰り返した。
「急がなくていい。春になる前に来てくれ」
それだけだった。
大掾なら、その言葉の裏にある意味まで理解してくれる。
少弐はそう信じて、再び北へ向かった。




