北へ運ぶもの――坂東の交易品と一本の剣
1571年正月 鹿島
北方から持ち帰った品々が評定の間に並んでいた。
クロテン。
キツネ。
ラッコ。
海獣の牙。
魚油や乾物。
樺太から蝦夷地、津軽、葛西を経て鹿島へ運ばれてきた品々である。
少弐冬明の帰還から二か月弱。
その間、ただ倉に積んでおいたわけではない。
試しにセイウチの牙を職人へ渡し、小刀の柄を作らせてみた。
出来上がったものは象牙細工とは少し趣が違った。
白く滑らかな中にも、どこか荒々しさがある。
氏治は妙にこれを気に入った。
「これはよいな」
佐野昌綱も手に取る。
「野趣がある。武家にはこちらの方が好まれるかもしれん」
さらにクロテンの毛皮では帽子を試作した。
会津から来た宇都宮朝綱などは、触った瞬間に、
「これは売れる」
と言った。
寒い会津はもちろん、坂東の冬でも十分に需要がある。
だが少弐は、それ以上の価値を見ていた。
「殿。クロテン、キツネ、それから特にラッコ。これは我々が思っている以上に価値を持つかもしれません」
少弐は博多と長崎で華人や南蛮人の商いを見てきた。
珍しく、品質がよく、産地が限られる物。
そういう商品に遠国の商人がどれほどの金を出すのかを知っている。
「下手をすれば、いずれ華人や南蛮人とこれを巡って争いになってもおかしくありません」
「毛皮で戦になるのか?」
氏治が聞いた。
「香辛料を求めて海を越えてくる者たちです」
少弐は静かに答えた。
「儲かると分かれば船が来ます。さらに儲かると分かれば、商船だけでなくなるかもしれません」
その言葉を、大掾義康は黙って聞いていた。
海事を預かる者には意味が分かったのだろう。
だからこそ、次回の北方交易は慎重に行う。
北から何を持って帰れるかだけではない。
北へ何を持っていけば喜ばれるのか。
その調査が必要だった。
少弐が紙を広げた。
「まず酒です」
これは第一次遠征ですでに手応えがあった。
坂東蒸留酒。
強い酒は特に評判がよかった。
しかし次回は種類を増やす。
真壁・笠間で作られている坂東葡萄酒。
坂東馬乳酒。
蜂蜜酒。
同じ酒でも何を好むのかを比較する。
結城朝基が坂東葡萄酒の文字を見て笑った。
「真壁と笠間のあれも持っていくのか」
「持っていきます」
「まだ少し酸っぱいぞ」
「だから試すのです」
「売れ残りではないのだな?」
「違います」
少弐は少し間を置いた。
「たぶん」
「今、たぶんと言ったぞ」
評定の間に笑いが起こった。
次は衣類。
麻布。
綿布。
そして、それらを仕立てた衣服。
寒い土地だから毛皮だけあればよいとは限らない。
肌に直接触れる衣類。
夏場の服。
袋。
紐。
さまざまな用途がある。
反物と完成品の両方を持っていき、どちらが好まれるのかを見る。
さらに針や糸、鍋、釣針、小型の鉄製工具など、生活に使える品も少量ずつ用意する。
そして――珍品。
時計。
地球儀。
こちらは大量に売るつもりはない。
長との面会や宴で見せる。
時計を動かせば人が集まる。
地球儀を広げれば、自分たちがどこから来たのかを説明できる。
交易品というより外交道具だった。
一方で、少弐は武器について明確な線を引いた。
「銃は持っていきません」
正確には船の護身装備としては存在する。
だが交易品として売らない。
贈らない。
見せることもしない。
摂津造の刀についても候補から外した。
「武器を大量に北へ流したくありません」
誰と誰が争っているのか、まだ完全には分からない。
不用意に武器を渡せば、交易者であるはずの小田が北方の争いを変えてしまう可能性がある。
だが――。
少弐は一本の剣を見た。
坂東サーベル。
これだけは迷った。
第一次遠征で予想以上に反応がよかったのである。
独特に湾曲した姿。
遠目にも分かる形。
そして小田の紋章。
長や有力者に渡せば非常に喜ばれ、何より相手の手元に長く残った。
酒は飲めばなくなる。
布もいつか傷む。
しかし剣は残る。
翌年、同じ紋を掲げた船が来れば、
――あの剣を持ってきた者たちだ。
と分かる。
「……仕方ありません」
少弐は言った。
「坂東サーベルだけは持っていきましょう」
佐野が笑った。
「ずいぶん嫌そうだな」
「武器を売りに行くわけではありませんから」
そこで坂東サーベルについては、通常の交易品とは完全に分けることになった。
一般には売らない。
毛皮何枚と剣一本、といった定価も作らない。
長や有力者、重要な仲介者など、今後も関係を結びたい相手への特別な贈答品とする。
そして少弐は、さらに一歩進めた。
「せっかくなら、軍用の物をそのまま持っていくのもやめましょう」
「どうする?」
氏治が聞いた。
「華美にします」
北方外交専用の坂東サーベルを数振りだけ作る。
鞘には上等な漆。
金具にも装飾。
小田の紋章は通常より目立つようにする。
螺鈿なども使える。
一本ごとに波、鹿、鷹、熊など異なる意匠を施す。
ただし模造刀にはしない。
剣としての最低限の実用性は残す。
その代わり装飾を増やし、重量配分や拵えも軍用品ほど実戦一辺倒にはしない。
本物ではあるが、戦場へ持っていくために作った剣ではない。
それが狙いだった。
「小田軍が使う坂東サーベルとは、別物にしてしまえばよいのです」
結城がうなずいた。
「儀礼剣か」
「それに近いものです」
さらに一本ごとに番号と意匠を記録する。
誰へ渡したか。
どこのコタンか。
いつ渡したか。
なぜ渡したか。
すべて台帳へ残す。
そこで少弐が思い出した。
「……そういえば」
「どうした」
「一本、すでに北方の者へ渡しております」
皆が少弐を見る。
「エカシロです」
樺太から家族を連れ、《希望》へ移り住んだ男。
第一次遠征では案内人として働き、その後も少弐たちと旅を続けている。
ならば最初の一振りとして記録すべきか。
そう思ったが、確認すると少し事情が違った。
エカシロの坂東サーベルに入っているのは、小田の紋ではない。
少弐家の紋章だった。
氏治が言った。
「ならば贈答品ではないだろう」
少弐が氏治を見る。
「と申しますと?」
「お前の家の紋を入れた剣を、お前と行動する者に持たせているのだろう」
氏治は当然のように続けた。
「それはもう、お前の家の者ではないのか」
少弐は少し黙った。
考えてみればその通りだった。
エカシロは、もはや一時的に雇った案内人ではない。
家族を連れて《希望》へ移り住んだ。
北方の地理を教える。
通訳をする。
交渉を仲介する。
必要なら少弐の命を受けて行動する。
そして腰には少弐家の紋を刻んだ剣がある。
少弐は記録役に言った。
「では、改めましょう」
筆が動く。
エカシロ。
その横に新しい身分が記された。
少弐冬明家臣。
さらに但し書き。
北方外交贈答品としての授与にあらず。少弐家臣として、少弐家紋入り坂東サーベルを帯用。
結城朝基が記録を見る。
「これなら分かりやすい」
エカシロの剣は北方贈答用坂東サーベルの数には入れない。
ただし、北方へ渡った坂東サーベルの一例として記録そのものは残す。
特例――エカシロ。
贈答ニ非ズ。家臣帯刀ノ為。
氏治が少弐を見る。
「これで扶持も必要だな」
「ありがたく」
「お前の家臣だぞ」
「はい」
「お前の禄から出すのだぞ」
少弐が黙った。
佐野が吹き出した。
「そこまで考えていなかったな」
「……家族もおりますので」
「知らん」
氏治まで笑った。
北方交易を巡る真剣な評定だったはずが、最後には一人の新しい家臣の扶持を誰が負担するかという話になっていた。
しかし、小さな出来事ではなかった。
北方から毛皮を持ち帰った。
坂東から酒や布を持っていく。
交易路が生まれる。
外交関係が生まれる。
そして、その往来の中で人そのものも移動する。
樺太で出会ったエカシロは、交易相手から案内人となり、旅の仲間となり、家族とともに船へ移り住み――ついには少弐家の家臣になった。
第二次北方遠征へ持っていく品々も、こうして定まった。
坂東蒸留酒。
真壁・笠間の坂東葡萄酒。
坂東馬乳酒。
蜂蜜酒。
麻布と綿布。
衣服。
針、糸、鍋、釣針、工具などの生活用品。
外交用として時計と地球儀。
そして箱の奥には、数振りだけの華美な坂東サーベル。
それらは最後まで簡単には取り出さない。
小田家が、
「この者との縁は残したい」
と判断したときだけ贈る。
北方の富を南へ運ぶだけの交易ではない。
南の品を北へ押し売りする交易でもない。
どの土地で何が求められるのかを知り、
誰と付き合うべきかを知り、
互いに利益がある道を探す。
そして一度結んだ縁を、翌年も、その翌年もつないでいく。
1571年。
一本のユニコーンの角を追って始まった北への旅は、いつしか毛皮と酒と布を運び、人と人とを結ぶ航路へと姿を変え始めていた。
そしてその航路の先には、すでに一人――
少弐家の紋を帯びる北方出身の家臣がいた。




