北の富――牙と毛皮
1571年正月の評定。
北方から持ち帰られた品々の中で、妙に男たちの人気を集めている物があった。
「これを見てくれ」
氏治が机の上から一本の小刀を取った。
鞘から抜けば、刀身そのものは特別なものではない。
皆が見ているのは柄だった。
白く、わずかに黄味を帯びた素材。
セイウチの牙で作られた柄である。
少弐が十一月に帰還してから二か月弱。
鹿島の職人に北方から得た牙を渡し、
「とりあえず何か作ってみよ」
と試作させたものだった。
牙の自然な色合いをあえて残し、細かな彫刻を施しすぎず、握りやすいよう削ってある。
佐野昌綱が受け取った。
「……これはよいな」
「だろう?」
氏治が嬉しそうに答える。
佐野は何度か握り直す。
「象牙とは違う」
「少し荒々しいでしょう」
少弐が言った。
「うむ」
佐野は気に入ったらしい。
「野趣がある」
結城朝基も覗き込む。
「公家に贈る品ではないな」
「武家には売れる」
「売れるな」
そこだけは全員の意見が一致した。
牙そのものを売るだけではない。
小刀の柄。
印材。
根付。
装飾品。
櫛。
さらに高級品なら彫刻を施して贈答品にもできる。
北から運ばれてきた素材を坂東の職人が加工すれば、別の商品になる。
そして毛皮もあった。
宇都宮朝綱がクロテンの毛皮で試作された帽子を手に取る。
「会津なら欲しがる者は多いぞ」
「坂東でも冬は寒い」
結城も触ってみる。
「武士だけではないな。金のある商人なら買う」
キツネ。
クロテン。
そしてラッコ。
それぞれ手触りも毛の密度も違った。
皆が面白そうに品評する中、少弐だけは次第に表情が変わっていった。
「殿」
氏治が振り向く。
「どうした」
「これは――」
少弐はラッコの毛皮を手に取った。
しばらく指で毛並みを確かめる。
「我々が考えているより、はるかに値打ちがあるかもしれません」
「暖かいからか?」
「それだけではありません」
少弐は首を振った。
「私は博多と長崎で、華人や南蛮人が何に金を出すかを見ております」
クロテンを指す。
「これも」
キツネ。
「これも」
そして最後にラッコ。
「特に、これは」
少弐の声から冗談めいた調子が消えた。
「非常に上等です」
佐野が尋ねる。
「南蛮人が欲しがると?」
「欲しがるでしょう」
「明の商人は?」
「なおさらでしょうな」
少弐は並べられた毛皮を見る。
「寒い国で使うだけの品ではありません。珍しく、手触りがよく、遠方でしか手に入らない。つまり富裕な者が欲しがる品になります」
結城が少弐を見る。
「高級品か」
「はい」
少弐は少し考えてから、さらに強い言葉を使った。
「下手をすれば――」
皆が見る。
「いずれ華人や南蛮人と、これを巡って争いになっても不思議ではありません」
広間の空気が変わった。
氏治が眉を上げる。
「毛皮で戦になるのか?」
「香辛料で海を越える者たちです」
その一言で、何人かが黙った。
少弐は続ける。
「胡椒。丁香。肉豆蔲。絹。銀。陶磁器」
博多や長崎で彼が見てきた世界だった。
「遠くにしかない物が高く売れると分かれば、人は船を出します」
少弐は樺太まで伸びた地図を見る。
「そして儲かると分かれば、次は自分たちだけで手に入れようとする」
大掾義康が反応した。
「商船だけでは来ぬ、と?」
「商船の後ろに軍船が来ることもあります」
大掾は黙った。
海を知る者だけに、その意味を理解するのも早かった。
少弐は毛皮を机へ戻す。
「ですから、私は北方航路を単なる珍品交易とは考えない方がよいと思います」
氏治が尋ねた。
「では、どうする」
「急いで独占する必要はありません」
少弐は答えた。
「むしろ逆です」
皆が少弐を見る。
「我々だけの物にしようとすれば、現地の者とも争います」
樺太、蝦夷地、津軽。
少弐は順番に地図を指した。
「まず、この道を我々が知っていることです」
どこに誰が住むのか。
誰と交易すればよいのか。
何を欲しがるのか。
どこに船を置けるのか。
冬はどこまで航海できるのか。
「そして、こちらから売る物を作る」
鉄器。
酒。
布。
加工品。
必要なら米。
「毛皮だけ持って帰る航路では長続きいたしません」
宇都宮がうなずいた。
「北にも利益を残すか」
「はい」
そこで氏治が、先ほどのセイウチ牙の小刀を持ち上げた。
「では、こういう物も作る」
少弐が笑った。
「それも立派な商いです」
氏治はもう一度小刀を見る。
「しかし、これは本当に格好いいな」
佐野がすぐに言った。
「それは俺も欲しい」
「これは俺のだ」
「もう一本作ればよかろう」
「牙にも限りがある」
つい先ほどまで華人や南蛮人との争いについて話していたはずなのに、今度は小刀一本を巡って氏治と佐野が言い争い始めた。
結城が呆れたように二人を見る。
宇都宮は笑っている。
だが大掾義康と少弐だけは、机の上に広げられた毛皮と、その向こうにある北方地図を見ていた。
まだ鹿島では珍品にすぎない。
しかし、この品々の本当の価値を南の世界が知ったとき――。
北の海は、今までと同じ静かな海ではなくなるかもしれない。
1571年正月。
小田家は北方航路に富を見つけた。
そして同時に、その富がいつか争いを呼ぶ可能性にも、初めて気づき始めていた。




