北の市、鹿島に立つ
1570年12月後半 鹿島
少弐冬明とライラを乗せた《北辰丸》が帰還してから、すでにひと月以上が過ぎていた。
北方遠征の報告書はまとめられ、樺太北部まで描かれた地図も小田氏治のもとへ提出されている。
それでも、《希望》は帰ってこなかった。
遭難を心配する声がなかったわけではない。
だが少弐は比較的落ち着いていた。
「マリアですからな」
その一言であった。
そして十二月も後半に入ったころ。
鹿島の沖に、ようやく大きな帆影が現れた。
《希望》だった。
だが――一隻ではない。
「……増えてないか?」
港に出てきた少弐が目を細める。
隣に立ったライラも海を見る。
「増えてるわね」
《希望》の後方から、次々と船影が現れる。
帰路で合流した船だった。
室蘭を発った《希望》は、マリアの判断で急いで鹿島へ向かわなかった。
蝦夷地から津軽へ。
津軽では北方から運んできた品の一部を見せ、南部領の船や商人と接触した。
さらに南下して気仙沼方面へ寄り、葛西領の交易網とも接続する。
そこで北へ向かう品と南へ向かう品を積み替えた。
そして最後には、北方航路の状況を聞いて迎えに出てきた大掾配下の船団とも合流したのである。
結果として、《希望》は北方調査船として出発しながら、帰還するときには小さな交易船団の旗艦のようになっていた。
船が鹿島へ入る。
荷が降ろされ始めた。
毛皮。
干魚。
昆布。
魚油。
海獣由来の品々。
木材や樹皮。
北方で得た細工物。
津軽から積まれた品。
南部領から加わった産物。
葛西領で交換された品。
反対に、小田領から北へ送れば価値を持つであろう商品についても、見本と注文が持ち帰られていた。
港の倉庫だけでは足りなくなった。
「これは何だ?」
氏治もとうとう鹿島まで見に来た。
少弐が答える。
「私にも分かりません」
「お前の船だろう」
「《希望》はマリアの船です」
ちょうどその本人が下船してきた。
久しぶりに見るマリアは満足そうだった。
「ただいま」
ライラが腕を組む。
「遅い」
「ちゃんと帰ってきたでしょう?」
「二か月かかってる」
「寄るところがたくさんあったのよ」
少弐は背後の船団を見る。
「寄港という規模ではないと思うが」
マリアは平然としていた。
「北から南へ船を走らせるなら、空船で帰る理由がないでしょう?」
その言葉に氏治が反応した。
「……もう一度言ってくれ」
マリアは不思議そうな顔をする。
「空船で帰る理由がない、です」
氏治は少弐を見る。
少弐も氏治を見る。
二人とも、ほぼ同時にもう一度港を見た。
そこには、北方遠征の成果が山積みになっていた。
しかし本当に重要なのは品物そのものではなかった。
品物がここまで動いたという事実だった。
鹿島から北へ船を出す。
奥州沿岸を通る。
津軽へ至る。
海峡を越える。
蝦夷地へ入る。
さらに北へ進めば樺太へ達する。
そして帰路では、それぞれの土地の産物を積み替えながら南下できる。
一本の航路が見え始めていた。
数日後。
鹿島の港は奇妙な光景になった。
北方産の毛皮の隣に奥州の品が置かれ、その隣には小田領の商品が並ぶ。
船乗り。
商人。
役人。
職人。
博物に興味を持つ兵学館の者まで集まった。
「まるで市だな」
氏治が言った。
少弐は首を振った。
「市というより――」
辺りを見渡す。
「見本市でしょう」
北の海で何が手に入るのか。
何を北へ持っていけば喜ばれるのか。
どの港で何を積み替えられるのか。
どんな船ならどこまで行けるのか。
それが、文章ではなく実物として鹿島に並んでいた。
イッカクの牙はない。
ユニコーンの角もない。
それでも、マリアたちが追いかけた一本の角から始まった旅は、思いもしなかったものを鹿島へ運んできた。
北方航路そのものだった。
氏治は毛皮を手に取り、少弐に尋ねた。
「冬明」
「はい」
「これ……儲かるのか?」
少弐は少し考えた。
そして、港いっぱいに積み上げられた品々を見た。
「それをこれから調べるのでございます」
そこへマリアが割って入った。
「売れるわよ」
二人が振り向く。
彼女は当然のように続けた。
「だって、北には南の物がないし、南には北の物がないもの」
あまりにも単純な答えだった。
氏治はしばらく黙っていたが、やがて笑い出した。
こうして1570年の暮れ。
鹿島には、蝦夷地、樺太、津軽、南部領、葛西領、そして坂東の品々が一堂に集まった。
後世から見れば、それはまだ交易所とも定期市とも呼べない、小さな出来事だったのかもしれない。
だが、この冬の鹿島を知る者たちは、別の呼び方をした。
「北の市」――。
北方航路という、まだ名前すら定まっていない一本の道が、初めて目に見える形となった冬だった。




