少弐、北からの帰還
1570年11月上旬 鹿島
北辰丸が鹿島へ入ったとき、空にはすでに冬の色があった。
室蘭を発ってから、およそ三週間。
三陸沖では一度ひどい時化に遭い、風を避けて二日ほど動けなくなったものの、それ以外ではライラはほとんど寄り道を許さなかった。
「高速船を高速船らしく使っただけよ」
鹿島の岸壁へ降りながらライラはそう言った。
少弐は杖をつきながら、その横で大きく腰を伸ばした。
「二度とやらん」
「あら。北へ行くより早かったでしょう?」
「身体が船になった気がする」
久しぶりの鹿島だった。
だが休息は翌日までだった。
少弐が真っ先に会わなければならない人物がいる。
小田氏治である。
翌日。
少弐は北方から持ち帰った地図と記録を携え、氏治の前へ出た。
ライラも同席した。
大きな地図が広げられる。
鹿島。
奥州。
津軽。
蝦夷地。
そして、そのさらに北。
氏治の目が地図の上を動いていく。
「……ここまで行ったのか」
「はい」
少弐が樺太を指した。
「そして、ここまでです」
指はさらに北へ動いた。
「今回の調査では、探していた一角の鯨――我々がイッカクではないかと考えている生き物そのものは確認できませんでした」
氏治はしばらく地図を見つめた。
「失敗か?」
「いいえ」
少弐は即答した。
「むしろ逆です」
もう一枚の紙を広げる。
そこには航路だけではない。
コタンの位置。
交易相手。
海流。
海獣。
毛皮。
魚。
船を寄せられる場所。
そして現地で聞き取った北方の情報が細かく書き込まれていた。
「少なくとも、探す場所を間違えていたことが分かりました」
少弐は樺太のさらに北を指した。
「まだ北です」
氏治が顔を上げた。
「まだ行くのか」
その問いに、横にいたライラが笑った。
少弐は少し困った顔をする。
「……どうやら、そのようです」
氏治も笑った。
しかし、すぐに表情を戻す。
少弐は続けた。
「それから、もう一つございます」
室蘭を指した。
「次回以降、ここを北方調査の拠点として使いたいと考えています」
そこにはすでに仲間を残してある。
現地との関係も築き始めた。
船を休ませ、人を集め、北へ向かう情報を整理する場所として都合がいい。
氏治はしばらく考えてから言った。
「つまり、お前は角を一本探しに行って――」
地図を見る。
「国の北側を広げて帰ってきたのか」
「領土を取ったわけではございません」
「分かっている」
氏治は笑った。
「だが、昨日まで誰も知らなかった場所へ行き、誰が住み、何があり、どうすれば行けるのかを持って帰った。それは大きい」
少弐は頭を下げた。
氏治は再び地図を見る。
その視線は、樺太で止まらなかった。
その先。
まだ白紙になっている北の海へ向かった。
「それで冬明」
「はい」
「次はどこまで行くつもりだ」
少弐も白紙を見る。
しばらくして答えた。
「分かりません」
「おい」
「だから調べるのでございます」
ライラが吹き出した。
氏治もとうとう笑った。
北方への第一回本格調査は、こうして終わった。
探し求めた角は、まだ見つかっていない。
だが鹿島へ持ち帰られた地図には、新しい世界への道が一本、確かに描き加えられていた。




