鯨の角を求めて
宗谷の長から預かった小刀を見せたことで、空気は明らかに変わった。
樺太の男たちは、少弐とシレトクを単なる見知らぬ異国人ではなく、海峡の向こうから正式に訪ねてきた客として扱い始めた。
酒がもう一度注がれ、煙草が回ってくる。
少弐も一服だけ付き合った。
だが、彼はここへ酒を飲みに来たわけではない。
少弐は隣のシレトクを見る。
「聞いてくれ」
「何を?」
少弐は少し考え、できるだけ単純な言葉を選んだ。
「大きな鯨の角だ」
シレトクが首を傾げた。
「鯨の……角?」
「そう。牙かもしれない。頭から一本、長く伸びたものだ。これくらい――いや、もっと長いかもしれない」
少弐は両手を大きく広げた。
螺旋だとか、ユニコーンだとか、麒麟だとか。
そうした余計なことは一切言わなかった。
彼ら自身が何を知っているのか確かめたかったからだ。
「そのようなものが、交易品としてここに来るか聞いてほしい」
「分かった」
シレトクは樺太の男へ向き直った。
言葉を選びながら尋ねる。
途中で自分の額から前へ腕を伸ばし、一本の長い角を表す仕草をした。
すると相手の男が妙な顔をした。
何かを答える。
シレトクが聞き返す。
今度は二人、三人と会話に加わった。
少弐は黙って待った。
やがてシレトクが振り返る。
「あるのかもしれない」
少弐の眉がわずかに動いた。
「ここに?」
「いや」
シレトクは首を振った。
「ここではない。もっと北から来る物の話をしている」
「北……」
少弐はそれ以上、先回りして尋ねなかった。
まず確認する。
「売っているのか?」
シレトクが尋ねる。
再び会話が始まった。
男は少弐が贈った水牛の角を指差した。それから北を指差し、さらに何か長いものを抱えるような仕草をする。
シレトクが笑った。
「欲しいのか、と聞いている」
「欲しい」
少弐は即答した。
「もし持っている者がいるなら、買いたい」
シレトクが訳す。
「我々は南から交易品を持ってきている。酒もある。布もある。鉄の品もある。相手が望むなら、それと交換したい、と」
それが伝わると、男たちは顔を見合わせた。
少弐はさらに付け加えた。
「一本まるごとなら、なおいい。欠けていても構わない。ただし、できれば加工していないものが欲しい」
これは重要だった。
奈良や京都で見た品々は、杯や印、槍の鋒などに加工され、元が何であったのか分からなくなっていた。
今度こそ、原形のまま見たい。
しばらくして、年長の男が何かを言った。
シレトクは黙って聞いていたが、やがて少弐へ向き直った。
「この村にはない」
少弐は落胆しなかった。
むしろ、その言い方に引っかかった。
「『知らない』ではなく、『この村にはない』と言ったのか?」
「そうだ」
シレトクも気づいたらしい。
少弐は年長者を見る。
「では、どこへ行けば買える?」
今度はシレトクも慎重に尋ねた。
年長者は浜へ出ると、海岸線の向こう――北を指差した。
そして、何度か地名らしい言葉を口にした。
少弐には聞き取れない。
シレトクにも完全には分からないらしく、何度も発音を確かめている。
だが一つだけは明白だった。
この海岸を、さらに北へ行け。
そう言っている。
少弐は北を見た。
宗谷でもそうだった。
樺太へ来ても、また同じだった。
探しているものは、いつも一つ先にある。
だが今回は違う。
「ない」と言われたのではない。
「もっと北へ行け」と言われたのだ。
少弐は笑った。
「それで十分だ」
そして年長者へ向かって頭を下げる。
「ありがとう。では、北へ行く」
シレトクがそれを伝えると、男は笑いながら何かを付け加えた。
「何と言った?」
シレトクも笑った。
「北はまだ長いぞ、だそうだ」
少弐は海の向こうを見た。
「望むところだ」
まだユニコーンの名は出さない。
イッカクの名も出さない。
ただ――
大きな鯨の、一本の角。




