宗谷への帰郷
数日にわたる北上の末、希望号の前方に低く長い陸地が見えてきた。
宗谷である。
甲板に立っていたシレトクは、遠くの海岸線を見つめたまま動かなかった。
「見覚えがありますか。」
少弐が尋ねる。
「ああ。」
シレトクは短く答えた。
「故郷だ。」
その声には、箱館や室蘭にいた時とは違う響きがあった。
やがてマリアが命じる。
「ポラールを一度戻して!」
希望号に先行していた北辰丸――ポラールが進路を変え、大きく弧を描いて母船へ戻ってきた。
二隻が距離を詰める。
縄梯子が下ろされ、シレトクがポラールへ移った。
少弐も続こうとしたが、シレトクが手を上げた。
「まだ来るな。」
「まず俺一人で行く。」
少弐はすぐに意図を理解した。
室蘭で教わったばかりの作法である。
「分かりました。」
「我々は沖で待ちます。」
シレトクは頷いた。
「こんな大きな船が突然浜へ近づけば、皆驚く。」
「俺が先に話をしてくる。」
ポラールは希望号から離れた。
大きな希望号に比べれば遥かに小さいが、それでも宗谷の人々にとって見慣れぬ異国船である。
浜が近づくにつれ、海岸には人影が集まり始めた。
シレトクは船首に立つ。
やがて何人かが彼に気付いた。
一人が声を上げる。
シレトクも大きく手を振った。
久しぶりに聞く故郷の言葉が、浜から返ってきた。
ポラールは安全な場所に錨を下ろした。
そこから小舟へ乗り換え、シレトクだけが浜へ向かう。
上陸すると、集まってきた者たちと言葉を交わした。
驚く者。
肩を叩く者。
笑う者。
箱館へ出ていた男の突然の帰郷は、たちまちコタンへ伝わった。
しかしシレトクは昔話を始める前に言った。
「先に長へ会わせてくれ。」
案内されてコタンへ入る。
やがて長の前へ通されたシレトクは、しばらく相手の顔を眺め――笑った。
「随分、偉くなったな。」
長も笑う。
「お前こそ、随分遠くまで行ったものだ。」
二人は従兄弟だった。
幼い頃には同じ浜を走り、同じ舟に乗った仲でもある。
再会を喜んだ後、シレトクはすぐ本題へ入った。
「沖に船を待たせている。」
長の表情が変わる。
「あの大きな船か。」
「ああ。」
「俺が箱館で知り合った者たちだ。」
シレトクは少弐たちについて説明した。
南から来たこと。
津軽から紹介されて箱館へ渡ったこと。
室蘭のコタンでも正式に長へ挨拶し、友として迎えられたこと。
そして――北の海に伝わる、一本角のカムイを探していること。
長はしばらく考えた。
やがて尋ねる。
「信用できるのか。」
シレトクは即答した。
「できる。」
「少なくとも、俺はあいつらと一緒に北まで来た。」
それで十分だった。
長は立ち上がった。
「ならば招こう。」
シレトクは再び浜へ戻った。
そして沖に待つポラールへ合図を送る。
ポラールから希望号へ旗が上がった。
――上陸を許された。
少弐はそれを確認すると、ほっと息を吐いた。
「では、参りましょう。」
マリア、イネス、ライラも準備を整える。
ただし希望号そのものは沖に残した。
一行はポラールと小舟に分乗して浜へ向かう。
上陸すると、そこにはシレトクと宗谷の長が待っていた。
シレトクが笑顔で紹介する。
「こいつが、このコタンの長。」
そして少し誇らしそうに付け加えた。
「俺の従兄弟だ。」
少弐は前へ進み、深く礼をした。
室蘭では客人だった。
だが宗谷では、彼らを導いてきたシレトク自身が、この土地の人間だった。
一本角のカムイを追う旅はついに、
伝承が残る北の土地へ辿り着いたのである。




