この海にはいないカムイ
宴も賑やかになった頃、少弐はシレトクへ目配せした。
「今なら、例の話を聞いてもよいでしょうか。」
「ああ。海を知る者がこれだけ集まっている。ちょうどいい。」
少弐は長へ断りを入れると、西海寺で写した一角竜の絵を広げた。
村人たちが珍しそうに集まってくる。
シレトクが説明した。
「こいつらは海のカムイを探している。」
「大きな身体で海を泳ぐものだ。」
それだけなら話は早かった。
鯨。
シャチ。
オットセイ。
イルカ。
村人たちは次々と知っている海の生き物を挙げていく。
マリアはそのたびに質問し、イネスは忙しそうに絵と特徴を書き留めた。
しかし、少弐が一角竜の頭を指差す。
「問題は、これです。」
シレトクも頷く。
「一本の長い角だ。」
村人たちの声が止まった。
一人が首を横に振る。
別の漁師も知らないという。
年寄りたちまで顔を見合わせた。
やがて最も年老いた男が、はっきりと言った。
シレトクが訳す。
「そんなカムイは、この海にはいない。」
マリアは落胆するどころか、すぐに尋ねた。
「では、聞いたこともありませんか。」
老人はしばらく考えた。
だが、やはり首を横に振る。
室蘭の海を知り尽くした漁師たちが知らない。
少弐はむしろ興味深そうに絵を眺めた。
「これは大切な情報ですね。」
ライラが首を傾げる。
「いないことが?」
「ええ。」
少弐は頷いた。
「津軽でも、実際にこの海で獲れるとは誰も言わなかった。」
「西海寺の伝承でも、一角竜は突然海から現れた特別な存在です。」
「つまり、昔から普通に見られる生き物ではなかった。」
シレトクが酒を飲みながら言った。
「なら、もっと北へ行け。」
少弐たちが彼を見る。
「宗谷まで行けば、話は変わる。」
「俺も子供の頃、年寄りから変な海のカムイの話を聞いたことがある。」
マリアが身を乗り出した。
「どんな?」
「よく覚えていない。」
シレトクは苦笑した。
「だから親父たちに聞けと言っているんだ。」
「ただ――」
少し考えてから続ける。
「宗谷でも、いつもいるカムイという話じゃなかった。」
「ずっと昔、海がおかしくなった時に、北から迷ってきた。」
「そんな話だったと思う。」
マリアの表情が変わった。
「迷ってきた……。」
「そうだ。」
シレトクは北を指差した。
「宗谷は海の道の端じゃない。」
「もっと北から来るものを、最初に見る場所なんだ。」
少弐は静かに一角竜の絵を畳んだ。
室蘭では、答えは得られなかった。
しかし――それでよかった。
もし一本角の生き物が北海道のどこにでもいるのなら、とっくにその正体は知られている。
津軽の一角竜も、宗谷に残るという奇妙なカムイも、日常的な海獣ではない。
北から、ごく稀に迷い込んでくるもの。
その可能性が、初めて一行の前に姿を現し始めていた。




