室蘭への寄港
箱館で数日を過ごし、希望号は再び北を目指す準備を整えていた。
出航前、少弐は甲板へ集まった一同へ尋ねた。
「さて、シレトク殿。」
「宗谷を目指すとして、どのような航路を取るのがよろしいでしょう。」
シレトクは地図の海岸線を指でなぞる。
「宗谷まで一気に行くこともできなくはない。」
「だが、おすすめはしない。」
「北へ行くほど人も村も少なくなる。」
「補給できる時に、しっかり補給しておくべきだ。」
少弐は静かに頷いた。
「では、最初の寄港地は。」
シレトクは迷わず答えた。
「室蘭だ。」
「良い港だし、水も食い物も手に入る。」
「それに……。」
少し照れくさそうに頭をかく。
「妹の婿が、その近くの村にいる。」
ライラが笑う。
「身内がいるなら心強いわね。」
「ああ。」
シレトクも笑った。
「昔、宗谷から南へ来た時に妹が嫁いだ。」
「今じゃ立派な漁師だ。」
「俺の顔を見れば歓迎してくれるだろう。」
マリアは興味深そうに尋ねた。
「その村なら、私たちも歓迎してもらえますか。」
「大丈夫だ。」
シレトクは力強く頷く。
「俺が保証する。」
「それに、お前たちもアイヌの村で暮らす作法を覚えなきゃならない。」
少弐は腕を組む。
「作法、ですか。」
「そうだ。」
「宗谷まで行けば、和人はほとんどいない。」
「相手は皆、アイヌになる。」
「言葉も違う。」
「暮らしも違う。」
「だから、まずは室蘭で慣れた方がいい。」
イネスが手帳を開いた。
「つまり、宗谷へ行く前の予行演習ですね。」
「その通り。」
シレトクは笑った。
「妹の村なら、俺も気兼ねなく教えられる。」
「挨拶の仕方。」
「酒の渡し方。」
「長への礼。」
「カムイへの祈り。」
「全部だ。」
少弐は満足そうに頷いた。
「急がば回れ、ですね。」
「北へ行くほど、一度の失礼が命取りになる。」
シレトクは真剣な表情で言った。
「だから、まずは室蘭。」
「そこで皆がアイヌの村に慣れてから、本当の北へ向かおう。」
マリアは海図を巻きながら微笑んだ。
「では、最初の目的地は決まりですね。」
「室蘭。」
希望号は錨を上げる。
その船首は、宗谷ではなく、北への旅路を支える最初の寄港地、室蘭へと静かに向けられた。




