北へ続く縁
館の中は静まり返っていた。
少弐はアイヌの護衛へ向き直る。
「そのカムイの話は、どこで聞いたのです。」
男は少し困ったように笑った。
「昔の話だ。」
「年寄りが酒を飲むと話してくれた。」
「今さら誰も信じちゃいない。」
マリアが身を乗り出す。
「その話を知っている人は、まだいるのですか。」
男は腕を組み、しばらく黙っていた。
「……さあな。」
「教えたところで、見つけられるものでもない。」
少弐は男の様子を見つめると、懐から一本の短筒を取り出した。
美しく磨かれた鋼に、細かな彫金が施されたホイールロック式短筒である。
男は目を見開いた。
「これは……。」
少弐は静かに差し出した。
「北の海を知る者への礼です。」
「あなたの話は、それほど価値があります。」
男は何度も首を横に振った。
「いや、こんな立派な品は受け取れねえ。」
「俺なんかには過ぎた宝だ。」
「構いません。」
少弐は穏やかに笑う。
「知識もまた、宝です。」
男は震える手で短筒を受け取ると、深く頭を下げた。
「……ありがとう。」
「俺の名は、シレトクという。」
「宗谷の方で生まれた。」
「若い頃は船に乗って北の海を渡っていたが、今はこの箱館で護衛をして暮らしている。」
部屋の空気が変わる。
シレトクは静かに続けた。
「故郷には、まだ親や兄弟がいる。」
「年寄りたちは、カムイの話も知っている。」
「俺が紹介しよう。」
「宗谷まで来るなら、きっと力になってくれる。」
マリアは思わず立ち上がった。
「本当ですか。」
「ああ。」
「俺の名を出せばいい。」
少弐は満足そうに頷くと、今度は館の主へ向き直った。
「一つお願いがございます。」
館の主は杯を置いた。
「何でしょう。」
「このシレトク殿を、これより私どもの護衛兼案内人としてお譲り願えませんでしょうか。」
館の主は驚いたように男を見た。
「腕の立つ者だ。」
「簡単には手放せぬぞ。」
少弐は微笑みながら答えた。
「実は船に、小田より運んできた虎皮がございます。」
「五枚、お譲りいたします。」
館の主は目を丸くした。
「虎皮を五枚……。」
しばらく考え込んだ後、ゆっくりと笑った。
「そこまで言われては断れませんな。」
「よろしい。」
「虎皮五枚で手を打ちましょう。」
「今日よりシレトクは、あなた方にお仕えいたします。」
シレトクは驚きのあまり言葉を失っていた。
やがて少弐へ深々と頭を下げる。
「……この御恩、生涯忘れません。」
「必ず皆様を北の海へお連れいたします。」
少弐は静かに頷いた。
「頼みました、シレトク殿。」
こうして一行は、北の海を知る新たな仲間を迎え、一本角のカムイの伝承が残る宗谷へ向けて、大きく前進することとなった。




