翌日の坂東評定、静かなる戦い
翌朝、小田城。
昨夜の酒宴の賑わいは消え、評定の間には再び張り詰めた空気が流れていた。
年頭の坂東評定は、この日も続けられる。
氏治をはじめ、坂東諸家の当主や重臣が席に着くと、見聞方の頭領が一歩前へ進み、深々と頭を下げた。
「各地の情勢をご報告申し上げます。」
広間は静まり返る。
「北条との相常同盟は、小田・北条両家には安定をもたらしました。しかし一方で、関東には新たな軋轢を生んでおります。」
氏治は静かに頷き、先を促す。
「佐竹は小田によって常陸北部へ押し返されたことを深く恨み、越後の上杉へ頻繁に使者を送っております。」
「また、北条に不満を抱く国人衆とも接触し、小田・北条に対抗する勢力をまとめようとしております。」
見聞方は地図を広げた。
「さらに蘆名家、相馬家とも文の往来が増えております。」
「ただし、昨年の敗戦による損害は大きく、兵馬、兵糧とも十分には回復しておりません。」
「しばらくは単独で兵を挙げる力はなく、味方集めと国力の回復を優先するものと思われます。」
宇都宮尚綱が腕を組む。
「嵐の前の静けさ、というわけか。」
氏治はゆっくりと立ち上がった。
「ならば我らも、この静かな時間を無駄にはしません。」
すると尚綱も席を立つ。
「氏治殿。」
「戦に備えるだけでは、人の心は集まりませぬ。」
「我らは下野へ戻り、土浦で生まれた品々を携えて諸氏を訪ねようと思います。」
「たまり醤油、坂東切子、陶器。」
「武具ではなく、暮らしを豊かにする品を見てもらい、坂東の結び付きを強めたい。」
結城家も頷いた。
「我らも同行いたします。」
「夏の坂東評定までには、下野諸氏への働きかけの成果をご報告いたしましょう。」
氏治は満足そうに笑った。
「武で従えるより、豊かさで集う方が長続きします。」
「どうかお願いいたします。」
二人は揃って頭を下げた。
評定の空気が少し和らぐ。
しかし氏治は、再び見聞方へ視線を向けた。
「もう一つ、命があります。」
「鹿島へさらに商人を招聘してください。」
「堺、博多、越後、どこでも構いません。」
「商いを望む者なら国を問いません。」
鹿島政道は力強く一礼する。
「承知いたしました。」
氏治は続けた。
「それから、越後と上野へ人を送りなさい。」
「目的は米です。」
広間がざわつく。
真壁が尋ねる。
「どれほど集めますか。」
「集められるだけです。」
氏治は即座に答えた。
「余剰米はもちろん、売ってくれるなら可能な限り買い付けてください。」
「相場より高くても構いません。」
「農民が喜んで売る値まで金を積みなさい。」
鹿島政道が目を丸くする。
「そこまでして、ですか。」
氏治は静かに頷いた。
「金はまた稼げます。」
「ですが、兵糧は戦が始まってからでは集まりません。」
「佐竹が兵を集めるなら、必ず米も集める。」
「ならば我らが先に正当な値で買い付ければよい。」
モンケは腕を組んで笑う。
「戦う前から兵站で勝つということですな。」
「そのとおりです。」
氏治は穏やかに微笑んだ。
「ただし、決して買い叩いてはなりません。」
「正当な値で買い、商人も農民も損をしない商いにしてください。」
そして、少し表情を和らげた。
「もし備蓄しても余るようなら、酒にしましょう。」
諸将が顔を上げる。
「米は腐ります。」
「ですが酒にすれば価値を保ちます。」
「蒸留酒にすれば保存も利きます。」
「鹿島から諸国へ売れば、坂東へ外の銭を運んできてくれるでしょう。」
鹿島政道は感心したように頷く。
「兵糧として備え、余れば酒として売る。」
「米一粒まで無駄にしませんな。」
氏治は笑った。
「戦のために集めた米が、平時には民を潤し、商いを育てる。」
「それが一番良い使い道です。」
見聞方は深く頭を下げた。
「承知いたしました。」
「鹿島衆、商人衆と力を合わせ、越後・上野にて米を買い付け、併せて新たな商人も鹿島へ招いてまいります。」
氏治は評定の間をゆっくりと見渡した。
「佐竹は兵を集める。」
「ならば我らは、人、物、金を集めましょう。」
「刀を抜く前に勝つ。」
「それが、小田の戦い方です。」
その言葉に、居並ぶ諸将は静かに頷いた。
戦はまだ始まっていない。
しかし坂東ではすでに、商いと兵站を巡るもう一つの戦が、静かに幕を開けていたのである。




