北への渡りと津軽の交渉
西海寺を辞した翌日、少弐たちは再び津軽城を訪れていた。
少弐は津軽へ一礼すると、本題を切り出した。
「津軽殿、一つお願いがございます。」
「申してくだされ。」
「我らはこの先、蝦夷地へ渡り、さらに北方の交易や伝承を調べようと考えております。」
「もし差し支えなければ、箱館に住む和人や、北方交易に携わる者へ紹介状を書いていただけないでしょうか。」
津軽は静かに頷いた。
「その程度であれば、お安い御用にございます。」
「箱館には古くより取引のある和人がおります。」
「私の書状があれば、船も人も手配してくれるでしょう。」
マリアたちは安堵の表情を浮かべた。
しかし津軽は筆を取ろうとした手を止め、少弐へ静かに視線を向けた。
「その代わり……と言っては何ですが、私からも一つお願いがございます。」
「お聞きしましょう。」
津軽は広げられた地図へ手を置いた。
「小田様は南方交易のみならず、朝鮮との交易にも力を入れておられます。」
「対馬、五島を庇護下に置かれたのも、そのためと承知しております。」
少弐は静かに頷いた。
「左様です。」
津軽は津軽海峡を指差す。
「ですが、海とは一つの道だけに頼るものではございません。」
「もし九州で戦が起こり、対馬海峡が閉ざされれば、朝鮮との往来も滞ります。」
「その時、この津軽海峡は北回り航路の要となりましょう。」
少弐は黙って耳を傾ける。
「また、北方交易においても同じこと。」
「蝦夷へ向かう船の補給、修繕、風待ち、そして物資の集積。」
「その役目を、この津軽は担えます。」
津軽はゆっくり顔を上げた。
「私は南部と争いたいのではございません。」
「ですが、この地には南部にはない役目があります。」
「どうか北方交易においては、この津軽を少しだけ重く見ていただきたい。」
部屋は静まり返った。
「大きな造船所までは望みませぬ。」
「ただ、船を修繕できる工房と船着場、そして交易品を蓄える蔵だけでも整えていただければ、この津軽は必ずお役に立ちます。」
津軽は真っ直ぐ少弐を見つめる。
「……そのように、小田様へお伝えいただけますでしょうか。」
少弐はしばらく考えた後、静かに頷いた。
「津軽殿。」
「私は国の政を決める立場ではありません。」
「しかし、この数日で見聞きしたこと、そして津軽殿のお考えは十分理解いたしました。」
「この地は北方交易の補給港であり、有事には朝鮮への北回り航路を支える前線基地ともなり得ます。」
「その価値は、私自身が氏治様へ必ずお伝えいたします。」
少弐は右手を胸に当てた。
「少弐冬明の名に懸けて、お約束いたしましょう。」
津軽はゆっくり立ち上がり、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「ならば私も、この名に懸けて北への渡りをお約束いたします。」
そう言うと津軽は紹介状を書き始めた。
宛先は、津軽海峡を渡った先、箱館に住む和人の頭領。
その一通の書状が、少弐たちを北方世界へ導く最初の鍵となるのであった。




