伝承の裏側
絵巻も屏風も見終えた頃、少弐は住職へ深く一礼した。
「住職様、一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか。」
「どうぞ。」
住職は穏やかに頷いた。
少弐は螺旋の鋒を見つめながら口を開く。
「失礼を承知で申し上げます。」
「もし、この鬼の伝承を神話ではなく、一つの歴史として読み解くならば、住職様はどのようにお考えになりますか。」
住職は少し驚いたように目を細め、それから静かに笑った。
「学者らしい問いでございますな。」
「私も若き頃、そのようなことを考えたことがございます。」
そう言うと住職は、絵巻の戦の場面を指差した。
「まず、一つ目鬼でございます。」
「鬼とは、本当に角の生えた怪物ではなく、この岩木山一帯を治めていた豪族、あるいは蝦夷の長であったのではないか、と私は考えております。」
「朝廷に従わぬ者を、都では鬼や賊と呼ぶこともございました。」
少弐は静かに頷いた。
住職はさらに続ける。
「七度敗れたという話も、実際に七回戦ったとは思っておりませぬ。」
「七とは、七転八倒、七難八苦と申しますように、『幾度も苦しんだ』ことを表す数でございましょう。」
「田村麻呂公は都から遠く北まで兵を率いて参られました。」
「道中で兵を各地へ残し、補給も細り、この津軽へ至る頃には軍勢はかなり疲弊していたはずでございます。」
「そして、この地で一度、大きな敗戦を喫した。」
「その記憶が長い年月を経て、『七度敗れた』という英雄譚へ姿を変えたのでございましょう。」
ライラは静かに尋ねる。
「鬼は、それほど強かったのですか。」
住職は頷いた。
「ええ。」
「伝承を読む限り、一つ目鬼は実に多彩な戦をしております。」
「朝霧を利用し、夜襲を仕掛け、谷へ誘い込み、落石で道を塞ぎ、橋を落とし、兵糧を断ち、伏兵を潜ませる。」
「力だけではなく、地の利と知略を尽くした将であったことが窺えます。」
少弐は小さく呟いた。
「山岳戦に長けた豪族……。」
「そのように考えると、話が繋がります。」
住職は今度は一本角の鋒へ目を向けた。
「そして、海より現れた一本角の龍神。」
「これも私は、そのまま神であったとは考えておりませぬ。」
マリアが息を呑む。
「では……。」
「北の海より現れた一団。」
「田村麻呂公が寺を建て、祈祷を続けたという話も、実際には北方の者たちとの使者を待ち、交渉を重ねていた日々であったのではないでしょうか。」
「鬼と敵対する北の勢力、あるいは海を渡る民へ援軍を求めた。」
「そして船団が到着し、友好の証として一本角を贈った。」
住職は螺旋の鋒を静かに撫でる。
「その出来事が、後の世には『龍神が海より現れ、自ら角を授けた』という神話へ変わったのでございましょう。」
イネスは静かに鋒を見つめる。
「神授ではなく、外交の証……。」
「左様。」
住職は頷く。
「田村麻呂公は、その友好の証である角を槍の鋒へ仕立てた。」
「つまり、この鋒は武器であると同時に、北の民との盟約の証でもあったのではないか、と私は思うのでございます。」
少弐は深く息をついた。
「伝承とは、空想ではなく、歴史が人々の口を伝わるうちに神話となったもの……。」
住職は静かに合掌した。
「私は、そのように信じております。」




