八度目の討伐 ― 一本角の神授
住職は螺旋を描く鋒を静かに撫でると、そのまま語り始めた。
「七度敗れた田村麻呂公は、自らの力だけでは鬼には及ばぬと悟られました。」
「そこで戦を急ぐことなく、岩木山の麓に小さな堂を建て、天下泰平と人々の安寧を祈って昼夜を問わず祈祷を続けられたと申します。」
境内はしんと静まり返る。
「七日七夜とも、四十九日とも伝わりますが、公はただ神仏へ祈りを捧げ続けました。」
やがてある夜明けのことであった。
「海が、不意に光り始めたのでございます。」
住職は遠く北の海を思うように目を細めた。
「沖合より現れたのは、それまで誰も見たことのない巨大な生き物。」
「その身は白く、龍のように長く、しかしかつて語られたどの龍とも異なっておりました。」
「そして額には、天へ向かって真っ直ぐ伸びる一本の大きな角。」
マリアもイネスも思わず息を呑む。
「田村麻呂公は、新たな化け物が現れたものと思い、自ら浜へ赴いたと申します。」
しかし、その姿へ近づくにつれ、不思議なことが起こる。
海を覆っていた雲は裂け、岩木山を包んでいた霧は風もないのに静かに晴れてゆく。
朝日は海面を黄金色に染め、一本角の龍神は神々しい光に包まれていた。
住職は静かに続ける。
「公はそこで悟られました。」
「これは鬼ではない。」
「天より遣わされた神の使いである、と。」
田村麻呂は浜辺へ祭壇を築き、鏡や玉、布、酒、海の幸、山の幸を供えて深く拝礼した。
すると一本角の龍神は、ゆっくりと頷いたと伝えられる。
そして――。
自らの額へ角を寄せると。
大きな音を立てて、その一本角を折り取った。
誰もが驚く中、龍神はその角を田村麻呂の前へ静かに置いた。
『この角を持て。』
『人のために振るうならば、霧は道を開き、偽りは姿を現そう。』
『されど北の海を侵すためではなく、人を守るためにのみ用いよ。』
そう告げると、一本角の龍神は静かに海へ身を沈め、二度と姿を現さなかったという。
住職は螺旋の鋒を両手で持ち上げた。
「田村麻呂公は、この神授の角を削り、その自然の姿を損なわぬよう槍の鋒へ仕立てられました。」
「そして八度目の討伐へ向かわれたのでございます。」
岩木山は再び濃い霧に包まれ、鬼はこれまでと同じように軍勢を惑わせようとした。
しかし――。
一本角の鋒を天へ掲げると、不思議なことに白い霧は左右へ流れ、山道が次々と姿を現した。
隠されていた谷も、伏せられていた落石も、鬼が潜む岩陰も、ことごとく白日の下へさらされた。
鬼は初めて、その策を見破られたのである。
「鬼は怒り狂い、岩木山を揺るがすほどの雄叫びを上げて田村麻呂公へ襲いかかりました。」
鋒は白く輝き、その一撃は鬼の胸を深く貫いた。
鬼は大きく吠え、山々へ響く声を残して姿を消したという。
住職は静かに締めくくる。
「鬼はその場で息絶えたとも。」
「あるいは岩木山の奥深く、岩戸へ逃れて今なお眠っているとも申します。」
「ゆえに、この地では山を畏れ、自然を敬う心を忘れてはならぬと、今も語り継がれているのでございます。」
住職の言葉が終わると、境内には静かな風が吹き抜けた。
少弐は螺旋の鋒を見つめる。
その乳白色の質感は、まるで海から授けられた巨大な角そのものだった。
マリアは小さく呟く。
「……一本角の龍神。」
イネスは鋒の螺旋を指先でなぞるように眺めながら言った。
「まるで私たちが追い求めてきた"北の海の角"を、そのまま伝説へ織り込んだようなお話ですね。」
少弐は静かに頷いた。
この鋒が本当に神授の品かどうかは分からない。
だが、その螺旋の形だけは、これまで各地で見聞きしたどの「一角の宝物」よりも、はるかに現実味を帯びているように思えた。




