岩木山の一つ目鬼
住職は静かに鋒へ一礼すると、一行を本堂の縁側へ案内した。
庭には苔むした石灯籠が並び、遠くには岩木山の稜線が霞んで見えている。
住職は穏やかな口調で語り始めた。
「この鋒の由来を語るには、まず岩木山に伝わる古い伝承を知らねばなりません。」
少弐たちは静かに耳を傾ける。
「昔、岩木山の深奥には一つ目鬼が棲んでいたと申します。」
「鬼は大きな体を持ち、人を襲うだけではありませんでした。」
「山霧を自在に呼び、谷を隠し、夜となれば音もなく姿を現し、人々を惑わせたと伝えられております。」
ライラが興味深そうに尋ねる。
「力だけではなく、知恵もあったのですね。」
住職は頷いた。
「ええ。ただ暴れる鬼ではございません。」
「朝廷はその討伐のため、坂上田村麻呂公へ命を下しました。」
しかし、と住職は静かに首を振る。
「討伐は容易ではありませんでした。」
「一度目は、山へ入った軍勢が濃い朝霧に包まれ、道を見失って退きました。」
「二度目は、鬼に味方する山の者がおり、進軍路を偽って軍勢を深い谷へ誘い込みました。」
「三度目は、夜半に奇襲を受け、多くの兵が武具を整える間もなく散り散りとなりました。」
住職の声は淡々としているが、その情景は目に浮かぶようだった。
「四度目には山道へ巨木が倒され、進軍そのものが阻まれました。」
「五度目には兵糧庫が焼かれ、飢えにより退却を余儀なくされました。」
「六度目には鬼が谷から岩を落とし、軍勢は前へも後ろへも進めなくなりました。」
「そして七度目――。」
住職は少し間を置く。
「田村麻呂公はあと一歩まで鬼を追い詰めましたが、再び濃い霧が山を覆い、鬼は闇へ姿を消したと伝えられております。」
イネスは静かに呟く。
「七度も……。」
「はい。」
住職は頷いた。
「鬼は力だけではなく、山そのものを味方につけて戦ったと申します。」
「霧、闇、地形、人心。そのすべてを巧みに用いる恐ろしい相手であったのでしょう。」
マリアは腕を組みながら考え込む。
「伝説とはいえ、まるで山岳戦に長けた豪族との戦いのようですね。」
少弐も同じ印象を抱いていた。
朝霧、夜襲、補給線への攻撃、現地勢力の協力――。
それは怪物との戦いというより、この険しい北の山々を知り尽くした相手との戦だったようにも思えた。
住職は静かに鋒へ目を向ける。
「されど、田村麻呂公は決して諦めませんでした。」
「八度目の討伐こそ、この鋒にまつわる伝承の始まりとなるのでございます。」
そう言うと住職は静かに微笑み、次なる物語を語るため、一同へ改めて鋒のそばへ集まるよう促した。




