人体の研究
船内では、それぞれが静かな時間を過ごしていた。
マリアは甲板で航海日誌を書き、ライラは剣の手入れをしながら時折甲板へ出て潮風を浴びる。船員たちは帆の点検に追われ、穏やかな海をエスペランサ号は北へ進み続けていた。
一方、少弐は船室でイネスの手伝いをしていた。
机いっぱいに広げられた羊皮紙を前に、二人は旅の成果を分類していく。
「寺院と神社はこっち。」
「薬草は地域別にまとめよう。」
「これは……天狗伝承。」
「麒麟関係は法隆寺と京都を一緒にしておこう。」
竜の図像、鬼の面、鹿や兎、鳥類、薬草、鉱物、古地図――。
膨大な資料が次々と整理されていく。
その途中、一冊の革表紙の画帳が机の端から滑り落ちた。
少弐が拾い上げる。
「これは?」
ページを開くと、そこには古代ギリシャ彫刻を参考にしたマリアの人物デッサンが描かれていた。衣服のドレープや立ち姿、重心の置き方を研究した美術資料で、横には「均衡」「重心」「歩行姿勢」と細かな注釈が添えられている。
さらに数ページめくると、今度はライラの剣士としての身体の使い方を観察した解剖学風のスケッチが現れた。
肩や背中、腕、脚の筋肉の働きを矢印で示し、「斬撃時」「踏み込み」「体幹の回旋」といった書き込みが並んでいる。
少弐は思わず目を丸くした。
「これは……。」
イネスは苦笑しながら画帳を受け取る。
「驚いた?」
「医学や美術の研究では珍しくないの。古典彫刻や人体観察は、筋肉や骨格、それに動き方を理解するための資料なのよ。」
そう言ってページを閉じると、楽しそうに笑った。
「ちょうどいい機会ね。」
「東洋の武人であるあなたにも、ぜひ協力してほしいの。」
少弐は首を傾げる。
「私が?」
「ええ。西洋剣術と日本の武術では姿勢も重心も違うでしょう? 槍、杖、刀。それぞれ体の使い方を比較できたら、とても価値のある資料になるわ。」
イネスは画帳を抱え、船室の奥にある小さな作業部屋へ案内した。
部屋の壁には旅先で描いた動植物や古寺の写生が整然と並び、机には定規やコンパス、羽ペン、顔料、小さな木製の人体模型まで置かれている。
「ここが私の仕事場。」
イネスは嬉しそうに言う。
「さあ、まずは東洋の武人らしい自然な立ち姿から始めましょう。西洋の剣士との違いを記録してみたいの。」
少弐は少し照れくさそうに笑いながらも頷いた。
「それが旅の役に立つなら、喜んで協力しよう。」




