学都の息吹
八月に入ると、土浦城はこれまでとは違う賑わいを見せ始めた。
霞浦兵学館の開校を翌月に控え、坂東各地から若者たちが続々と集まってきたのである。
初年度ということもあり、氏治は募集年齢を厳密には定めなかった。
「学ぶ志がある者ならば迎え入れよう。」
その一言で、十歳ほどの少年から元服間近の若者まで、様々な者が土浦へ集う。
結城家にはあらかじめ使者を送り、結城兄弟を招いた。
小山家にも同様に招待状が届けられ、幼い頃から氏治と親しかった者たちが再び顔を揃えることとなる。
町にも変化が現れた。
紙や墨を扱う店が増え、書物を書き写す者が集まり、宿屋は生徒やその家族で賑わう。
武具屋の隣には文具屋が並び、商人たちは「学ぶ者相手の商い」を始めていた。
自由都市土浦は、商都としてだけでなく、学都という新たな顔を持ち始めていた。
そんなある日、氏治は土浦城を見上げて呟いた。
「学びには時がいる。」
「ならば、町にも時を刻ませよう。」
氏治の命で城の櫓の一つが改修される。
治彦が歯車の図面を引き、モンケが構造を見直し、職人たちが昼夜を問わず組み上げた。
完成した櫓には大きな時計と鐘が据えられ、歯車仕掛けのからくりが時を告げる。
試運転の日。
正午になると、からくり人形が槌を振り上げた。
――ゴォォン。
澄み渡る鐘の音が霞ヶ浦へ響く。
町人たちは足を止め、生徒たちは空を見上げた。
「昼だ。」
「城が時を知らせておる。」
その日から土浦では、鐘の音が一日の基準となった。
そして九月。
霞浦兵学館は、ついに開校の日を迎えた。
城内の広場には、新入生たちが整然と並ぶ。
教官もまた一堂に会していた。
学長はモンケ。
鉄砲と西洋兵法はフェルディナンド。
河川戦、工兵、輜重、野営術はシャムの教官プラヤー・スリウォン。
異国人が並ぶ光景に、生徒たちは期待と緊張を隠せない。
氏治は壇上へ進み、生徒たちをゆっくりと見渡した。
「皆、よく集まってくれた。」
「今日より霞浦兵学館は始まる。」
氏治は教官たちへ目を向ける。
「見てのとおり、この兵学館には異国の教官が多い。」
「彼らは我らの知らぬ知恵と技を持っている。」
「だから、よく学びなさい。」
そこで氏治は言葉を切った。
「――だが。」
静まり返った広場に、幼い当主の声だけが響く。
「まず学ぶべきは、自らの足元だ。」
「坂東とは何か。」
「我らは何を守るために学ぶのか。」
「異国の知恵は、その答えを見つけた者が使ってこそ力となる。」
「根のない木は、大きく育たない。」
生徒たちは皆、真剣な眼差しで聞き入っていた。
「私は、お前たちに強い兵だけになってほしいとは思わない。」
「坂東を知り、坂東を豊かにする者になってほしい。」
「それが霞浦兵学館の願いだ。」
大きな拍手が広場を包む。
その時、氏治は教官たちを見回し、ふと苦笑した。
「……しまった。」
治彦が首を傾げる。
「どうしました。」
「日本人の教官が少なすぎる。」
異国人ばかりの列を見て、生徒たちも思わず笑う。
氏治は水戸頼治を呼んだ。
「水戸殿、教養科をお願いしたい。」
「論語、孟子、兵法、政道を教えてください。」
頼治は静かに一礼する。
「水戸の政務がありますゆえ常駐は叶いませんが、折々に参り教えましょう。」
「十分です。」
続いて氏治は治彦へ向き直る。
「治彦。」
「はい。」
「歴史学を頼む。」
「それと……寮長も兼ねてほしい。」
「生徒と寝食をともにし、生活も見てやってくれ。」
治彦は苦笑しながらも頷いた。
「教師と寮長ですか。忙しくなりそうですね。」
「歴史も暮らしも、どちらも人を育てるからね。」
こうして霞浦兵学館は、異国の技術、坂東の教養、そして歴史を三本柱として、新たな時代を担う若者たちを育て始めた。
土浦はこの日を境に、商都であると同時に、学都としても坂東にその名を響かせることとなるのであった。




