「北を目指す旅路」
鹿島を発ったエスペランサは、夏の太平洋を北へと進んでいた。
目的地は相馬。
そこからは馬に乗り換え、奥州の雄・伊達家の居城、米沢を訪ねる予定である。
沖合では、新たに整備が進む坂東フリガッタ艦隊が訓練航海を行っていた。細身の船体が風を受け、次々と海面を切り裂いていく。
マリアは思わず口を開いた。
「……ずいぶん軍船が増えましたね。少し物騒に見えます。」
イネスもうなずく。
「まるで戦争が始まりそうです。」
少弐冬明は苦笑した。
「見た目ほどではないよ。」
「この太平洋側には、瀬戸内や九州みたいな海賊はほとんどいない。」
ライラが首をかしげる。
「では、何のために?」
「抑止力かな。」
少弐は甲板の手すりにもたれながら答えた。
「それに、この辺りで海賊をやろうとしても難しい。」
「鹿島水軍や大掾殿の船団が海上を押さえているからね。」
マリアが笑う。
「海賊の親分、ということですか?」
「言い方は悪いけれど、昔から海を治めてきた勢力だからね。」
「悪党を取り締まるには、その海を誰より知っている者が一番なんだ。」
イネスは納得したようにうなずいた。
「なるほど……。」
「海賊がいないのではなく、育たないのですね。」
「そんなところ。」
重い話題になりかけたところで、ライラが手を叩いた。
「では話を変えましょう。」
「前から気になっていたことがあります。」
少弐は笑う。
「何かな。」
ライラは紙にいくつか漢字を書いた。
小田、佐野、那須。
その横に、
少弐、大掾、宇都宮。
「同じ日本の名字なのに、ずいぶん簡単なものと難しいものがあります。」
「何か違いがあるのですか?」
少弐は少し考えてから答えた。
「面白いところに気が付いたね。」
「実は、いくつか理由がある。」
「まず小田や佐野は地名そのものなんだ。」
「小さな田んぼがあった土地だから小田、佐野という地名があり、その土地を治めたから名字になった。」
「だから比較的分かりやすい。」
マリアがうなずく。
「ヨーロッパの『フォン・○○』と似ていますね。」
「そうそう。」
少弐は続けた。
「一方で少弐や大掾は少し違う。」
「これはもともと役職や官職の名前なんだ。」
イネスが驚く。
「役職ですか?」
「うん。」
「大掾は昔の地方役人の役職名。」
「少弐も古代の九州を治める役所の高官の名前で、その役職を代々務めた家が、そのまま名字として残った。」
ライラは目を丸くした。
「では名字ではなく、肩書が家名になったのですね。」
「その通り。」
少弐はさらに続ける。
「宇都宮も面白い。」
「あれは神社――宇都宮大明神に由来する名前なんだ。」
「だから神社や土地と結びついている。」
マリアは感心して言う。
「同じ名字でも、土地から来たもの、役職から来たもの、神社から来たものがあるのですね。」
「そう。」
少弐は笑った。
「日本の名字は、その家が何をしていたか、どこにいたかを今でも教えてくれることが多い。」
ライラは紙に「役職」「土地」「神社」と書き分けながら微笑んだ。
「これだから異国は面白い。」
「名前一つにも歴史があるのですね。」
潮風を受けながら、四人を乗せた船は、北の相馬へ向けて静かに進んでいった。




