北方航路への出航
兵学館で過ごした日々は、三人にとってかけがえのない時間だった。
西洋では見ることのできない漢籍や地図、薬学書、そして各地から集められた標本。
まさに知識の泉と呼ぶにふさわしい場所である。
別れの日、マリアは名残惜しそうに校舎を見渡した。
「もっと滞在したいわ……。」
イネスも微笑む。
「ここなら一年いても退屈しないでしょうね。」
ライラは書物をそっと閉じた。
「でも、答えは本の中だけでは見つからない。」
少弐も頷く。
「また戻ってくればよい。今は北へ向かおう。」
四人は兵学館を後にし、一路鹿島を目指した。
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鹿島へ着くと、港の景色は数か月前とは一変していた。
前年の年末に進水した坂東フリガッタ第一番艦に続き、この四月までの間に紀伊と土佐中村の造船所から、新造艦が次々と回航されてきていたのである。
埠頭には細身の船体を並べた新鋭艦が整然と係留され、兵や水夫たちが慌ただしく艤装を整えていた。
その光景を見て、マリアは思わず息をのむ。
「もう艦隊になっている……。」
少弐も満足そうに頷いた。
「紀伊と中村、二つの造船所が同時に動けばこれほど違うか。」
その時、甲冑姿の大掾幹康が一行を迎えに現れた。
「お待ちしておりました。」
深く一礼すると、その後ろには整列した士官たちの姿がある。
大掾は海を振り返った。
「坂東フリガッタ艦隊、出航準備完了しております。」
少弐は静かに尋ねる。
「海軍奉行としての最初の任務は分かっているな。」
「はっ。」
大掾は力強く答えた。
「坂東フリガッタ艦隊の任務は、マリア殿らによる北方交易・外交探索の護衛であります。」
「敵船との決戦ではありません。未知の海域を安全に航行し、外交使節を守り、必要があれば退路を確保すること。それが第一の使命です。」
マリアは少し驚いたように少弐を見る。
「私たちが主役なの?」
少弐は微笑んだ。
「今回は戦ではない。」
「知を求める遠征だ。」
ライラも剣に手を添えた。
「だからこそ、護衛が必要なのね。」
大掾は頷いた。
「新造艦の性能試験も兼ねております。荒海での帆走、補助オールの運用、砲の射界、艦隊行動――すべてを北方航海で検証します。」
新たな軍艦。
未知の海。
そして、まだ見ぬ北方交易の終着点。
鹿島港には春の風が吹き抜け、新鋭の坂東フリガッタ艦隊は、知と外交を守るための初任務として、北の海へ船首を向けようとしていた。




