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盤上に映る過去

堺を発った船は、追い風を受けながら東へと針路を取っていた。


目指すは坂東。


数日を要する船旅である。


退屈しないようにと、出航の折に今井宗及が餞別を持たせてくれていた。


「こちらは囲碁、そしてこちらはチェスです。船の上で楽しんでください。」


甲板に卓を置き、四人はまず囲碁を広げた。


「うーん……。」


黒石をつまんだマリアが唸る。


「どこへ置いても悪くないようで、全部悪い気がします。」


イネスも苦笑した。


「石が増えるほど分からなくなりますね。」


ライラも腕を組んだ。


「剣なら間合いがある。これは敵も味方も見えなくなる。」


結局、囲碁は半日もしないうちに諦められた。


代わりにチェス盤が広げられる。


「これは懐かしい。」


マリアが嬉しそうに駒を並べる。


「リスボンでは父によく相手をさせられました。」


イネスも笑う。


「私は医学校でよく遊びました。」


ライラも負けじと言う。


「傭兵団では酒を賭けて勝負したものだ。」


そこへ少弐冬明も席についた。


「博多や長崎では南蛮人がよく指していました。私もそこで覚えたのです。」


「少弐殿も?」


「多少は。」


その「多少」は控えめな表現だった。


序盤は静かに駒を進める。


だが中盤になると、突然ナイトを差し出す。


「えっ?」


マリアは思わずその駒を取った。


「ありがとうございます。」


少弐は穏やかに微笑む。


数手後。


「チェック。」


わずか数手で王は逃げ場を失っていた。


「そんな……。」


マリアは盤を見つめ、思わず笑ってしまう。


「最初からこの形を狙っていたのですか。」


「ええ。」


続いてライラ。


攻撃的な彼女は少弐のクイーンを見つけるや、


「もらった!」


と勢いよく取り去った。


しかし、それも誘いだった。


「チェックメイト。」


「またか!」


ライラは額を押さえた。


「少弐殿、その捨て駒は癖なのか?」


「そうですね。」


少弐は静かに頷いた。


その後も勝負は続く。


勝ち越してはいるものの、ときおり少弐は大胆な捨て駒を仕掛け、そのまま押し切れず負けることもあった。


イネスが首をかしげる。


「今の勝負、普通なら守れば勝てましたよね?」


「そうですね。」


「それでも捨てるんですか?」


少弐は取られた駒を指先で転がしながら、小さく笑った。


「好きなのですよ、この手が。」


ライラが尋ねる。


「なぜだ?」


少弐は少しだけ遠くを見るような目になった。


「若い頃、大友家にいた頃の私は……損な役回りばかりでした。」


三人は黙って耳を傾ける。


「敵を引きつける役。時間を稼ぐ役。交渉がまとまらなければ責めを負う役。」


苦笑が漏れる。


「今思えば、自分自身が捨て駒のようなものだったのでしょう。」


盤上の駒をそっと元の場所へ戻す。


「だから、この手を見ると昔の自分を思い出します。」


しばらく静寂が流れた。


やがてイネスが静かに口を開く。


「それでも好きなのですか?」


少弐は首を横に振った。


「いいえ。」


三人が少し驚く。


「本当は好きではありません。」


盤上のキングを見つめたまま続ける。


「もし私が兵を率いる立場なら、この手は絶対に選びたくありません。」


「……。」


「盤の上なら駒は箱へ戻せます。」


駒を箱へ入れ、静かに蓋を閉じる。


「ですが、人は戻りません。」


甲板を吹き抜ける潮風だけが音を立てた。


「だからこそ、現実では選びたくない一手を、遊戯の中だけで試しているのです。」


ライラは腕を組み、納得したように笑った。


「なるほどな。現実で使えないからこそ、盤の上で使うのか。」


「ええ。」


少弐も穏やかに微笑んだ。


「木の駒なら、何度失ってもまた並べられますから。」


その言葉を聞きながら、ライラは少弐の傍らに立て掛けられた杖へ目を向けた。


「そういえば少弐殿。」


「はい?」


「前に槍が得意だと言っていたな。どうして槍だったんだ?」


少弐は杖を手に取り、懐かしそうに撫でた。


「青年の頃は、小柄だったのですよ。」


「え?」


三人は同時に驚いた。


「今では信じられないかもしれませんが、十五、六の頃までは背が低く、力もありませんでした。」


杖を軽く回す。


「剣では体格で押し負けます。だから少しでも間合いを取れる槍を選びました。」


ライラは感心したように頷く。


「体格ではなく、間合いで戦うためか。」


「ええ。小さい者は、小さい者なりの勝ち方を覚えるものです。」


少弐は杖を甲板に軽く突いた。


「そして今は槍の代わりに杖です。腰や膝も昔ほど丈夫ではありませんし、できるなら命を奪うより守るために振るいたい。」


マリアは静かに微笑む。


「少弐殿らしいですね。」


少弐は照れくさそうに笑った。


「戦を知ったからこそ、できるだけ戦いたくないだけですよ。」


三人は改めて思う。


穏やかな笑みを絶やさないこの男は、決して戦を知らぬ文官ではない。


誰よりも戦の重さを知り、誰よりも人の命を惜しむからこそ、盤の上でだけは、昔の自分という「捨て駒」を何度でも動かしているのだった。

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