秋風、都への道 ― 最強の剣士を訪ねて
九月も終わりに近づいていた。
当初は数日だけの滞在となるはずだった四国であったが、一行は結局、一か月近くをこの島で過ごすことになった。
しかし、その時間は決して無駄ではなかった。
マリアは博物学者として、伊予から土佐にかけて海岸線を実測し、港や入り江、潮流や風向きを細かく記録した。
「この海図は、いつか北へ向かう時にも役立つ。」
そう言いながら、一歩一歩、自らの足で海岸を歩き続けた。
イネスは旅の途中で描きためた挿絵を整理していく。
遍路道。
道後温泉。
石手寺。
港町の市場。
迷い鯨を語る庄兵衛翁。
旅先で出会った人々の暮らし。
旅日記は、いつしか一冊の立派な旅行記になりつつあった。
ライラは寺社を巡り、祭具や仏像、縁起や伝承を熱心に書き留める。
金刀比羅宮では海の神への信仰を学び、
道後では温泉にまつわる伝説を聞き、
各地では白蛇や白鹿、海坊主や山神などの昔話を集めていった。
少弐は三人の様子を見て笑う。
「皆様は、本当に旅そのものを楽しんでおられますな。」
マリアも微笑んだ。
「急いで通り過ぎるだけでは、この土地は分からないもの。」
「四国は、思っていた以上に奥深い場所だったわ。」
九月最後の日。
「希望」と「北辰丸」は土佐中村を発ち、瀬戸内海を東へ進んだ。
目指すは日本随一の商都――堺。
数日後、一行は堺港へ入港する。
港には南蛮船、中国船、日本各地の商船がひしめき合い、威勢のよい掛け声が絶えない。
今井宗及の番頭たちは手際よく荷を運び、宿の支度を整えていく。
だが、一行は荷を下ろすのもそこそこに、すぐ旅支度を始めた。
マリアは苦笑する。
「そんなに急ぐの?」
ライラは待ちきれないというように笑った。
「ええ。」
「今回の旅で、一番楽しみにしていた場所だから。」
イネスは首を傾げる。
「京都や奈良の寺社じゃないの?」
ライラは首を横に振る。
「それももちろん楽しみよ。」
「でも、本命は別。」
彼女は少弐を見る。
「少弐様が以前、お話ししてくださいましたよね。」
「伊丹城には、日本で最も強いとまで評される剣士がおられる、と。」
少弐は苦笑した。
「少し言い過ぎたかもしれません。」
「いいえ。」
ライラは真剣な表情で答える。
「この旅で分かったことがあります。」
「少弐様は、人を褒める時ほど慎重です。」
「その少弐様が『敵わない』とまで言う方なら、一度お会いしてみたい。」
マリアも興味深そうに尋ねた。
「そんな人物なの?」
少弐は静かに頷いた。
「剣だけではありません。」
「人としても、多くの者から敬われるお方です。」
「だからこそ、お勧めしたのです。」
ライラの目が輝く。
「ますます楽しみになったわ。」
「宗教や伝承を調べることも大切。」
「でも剣士としては、その方に会わずに日本を去るなんて考えられないもの。」
イネスは笑いながら旅日記へ書き込む。
『目的地変更。本命は伊丹城。理由――少弐推薦、日本最強の剣士に会うため。』
それを見たマリアも笑った。
「結局、一番楽しみにしていたのは、それだったのね。」
ライラは照れもせず頷く。
「ええ。」
「強い人には、理由がある。」
「どんな剣を振るい、どんな心で生きているのか。」
「この目で見てみたい。」
少弐は馬へ跨りながら穏やかに笑った。
「それでは参りましょう。」
「皆様が期待されるようなお方であることを、私も願っております。」
こうして一行は堺を後にした。
秋風が街道を吹き抜ける。
その先に待つのは、古都ではない。
まず訪れるのは、少弐冬明が『日の本最強』と認める一人の剣士が待つ伊丹城。
ライラにとって、その出会いこそが、この旅最大の楽しみであった。




