恋瀬川大勝 ―― 水戸城評定
昼過ぎ。
霧雨に煙る恋瀬川に、佐竹軍の法螺貝が響き渡った。
「押せぇ!」
鬨の声とともに佐竹軍が一斉に進み、仮橋を渡って恋瀬川橋城へ殺到する。
櫓の上では真壁幹久が敵勢を見下ろし、思わず叫んだ。
「殿! 敵が押し寄せます!」
だが、小田氏治は蜈蚣切りに静かに手を添え、敵の動きを見つめるだけだった。
「……まだだ。」
敵はさらに迫る。
橋は兵で埋まり、梯子が運ばれ、城壁へ兵が取り付き始める。
鉄砲足軽が焦りを隠せず叫ぶ。
「殿! もう射程です!」
氏治は振り返り、短く言い放つ。
「まだだ。」
その一言に城内は静まり返る。
誰一人、引き金を引かなかった。
反撃がないことに勢いづいた佐竹軍は、橋の上から城門前まで兵を密集させ、本陣も勝利を確信して前へ進み出てきた。
その様子を見届けた氏治が口を開く。
「先兵は捨て駒だ。」
「狙うな。」
「全隊、本陣へ。」
鉄砲隊は一斉に銃口を佐竹軍本陣へ向けた。
「撃て。」
轟音。
白煙が雨空へ立ち上る。
旗持ちが倒れ、伝令が撃ち倒され、馬が暴れ出す。
「二斉射。」
再び轟音。
「三斉射。」
間髪入れぬ三度の一斉射撃。
本陣はたちまち混乱し、命令は前線へ届かなくなった。
「本陣が撃たれている!」
「命令はどうした!」
「総大将は無事なのか!」
城壁へ取り付いていた兵が後ろを振り返った、その瞬間――。
氏治は蜈蚣切りを静かに抜き放つ。
雨粒が刀身を流れ落ちる。
その切っ先を敵へ向け、力強く突き出した。
「開門。」
重い城門が開く。
「出るぞ!」
青鬼こと宇都宮尚綱が大槍を構え、真っ先に飛び出した。
「坂東の武を見せよ!」
続いて真壁幹久が槍隊を率いて敵へ突撃する。
「押し返せ!」
「橋を奴らの墓場にしろ!」
密集した佐竹軍へ宇都宮と真壁が突き刺さる。
その時だった。
佐竹軍先兵の一角で、一本の旗が掲げられた。
黒雲を裂く稲妻。
雷霞一撃。
一本、また一本。
十数本もの雷霞一撃の軍旗が一斉に翻る。
「雷霞一撃だ!」
「江戸勢だ!」
江戸頼家の兵が槍先を佐竹軍へ向け直す。
「義ある者に続け!」
「坂東の誓いを忘れるな!」
そのまま真壁隊へ駆け寄り、側面から佐竹軍へ襲い掛かった。
宇都宮が正面から押し潰し、真壁が左翼を裂き、江戸勢が右翼から食らいつく。
三方より挟撃された佐竹軍は総崩れとなった。
氏治は蜈蚣切りを高く掲げる。
「逃がすな。」
「隊列を崩さず押し返せ。」
小田軍は雨の中、秩序を保ったまま追撃を開始した。
宇都宮の騎馬隊が退路を断ち、真壁の槍隊が敵を分断する。
江戸頼家の兵は水戸への街道や渡河点を押さえ、逃げ道を狭めていく。
追撃は一日では終わらなかった。
二日、三日と続き、佐竹軍は反転して陣を敷く余裕もなく北へ北へと敗走する。
恋瀬川から江戸頼家の領内まで、小田軍は敵を掃討し続け、ついに佐竹軍を水戸以北へ完全に押し返した。
戦場は静けさを取り戻す。
やがて小田軍は水戸城へ入城した。
城門では江戸頼家自らが出迎え、深く頭を下げる。
「氏治殿、水戸城へようこそ。」
「この城を評定の場としてお使いください。」
氏治も一礼した。
「感謝する。」
「まずは戦を締めくくろう。」
その日の夕刻、水戸城の大広間へ諸将が集まる。
上座には氏治。
右には宇都宮尚綱と真壁幹久。
左には大掾幹家、宍戸政繁、鹿島政道。
そして城主・江戸頼家も氏治の近くへ迎えられた。
雨音だけが静かに城を包む。
氏治は蜈蚣切りを膝前へ置き、一同を見渡す。
「恋瀬川の戦は終わった。」
「水戸は守られ、佐竹は北へ退いた。」
「だが、敵は必ず立て直してくる。」
「今日の勝利に驕ることなく、坂東をさらに一つにまとめよう。」
諸将は静かに頭を下げた。
こうして恋瀬川の大勝は、水戸城での戦後評定をもって幕を閉じ、新たな坂東連合の時代が動き始めたのであった。




