府内評定 ― 九州均衡の行方
府内館の広間には、九州一円を描いた大きな地図が広げられていた。
調印を終えた大友宗麟は満足そうに頷くと、少弐冬明へ向き直る。
「冬明殿。約束どおり、今の九州を包み隠さず話そう。」
少弐は静かに一礼した。
「ありがたく拝聴いたします。」
宗麟はまず地図の東を指した。
「ここが我ら豊後。そして北へ筑前、筑後、西へ肥前。」
指先は大分から福岡、佐賀、長崎へと滑っていく。
「現在、大友家が直接治めているのは、この一帯だ。」
少弐は地図を見つめながら頷く。
「九州北部の大半を掌握されましたな。」
「そうだ。」
宗麟は苦笑を浮かべる。
「長崎と佐賀を得たことで、南蛮交易は飛躍的に発展した。博多だけでなく長崎も交易港として育ち始め、富は以前より集まるようになった。」
「だが――。」
宗麟の声が少し低くなる。
「国が広くなれば、それだけ守る場所も増える。」
彼は長い海岸線をなぞった。
「港、街道、城、国境……すべて兵を置かねばならぬ。」
少弐も静かに頷く。
「富は増えても、防衛の負担もまた増えたということですな。」
「そのとおり。」
宗麟は今度は九州中央へ指を移した。
「この肥後。」
「今は阿蘇氏と相良氏が治めておる。」
少弐は尋ねる。
「大友家の直轄にはなさらないので?」
宗麟は首を横に振った。
「いや、それでよい。」
「阿蘇も相良も我らと盟を結ぶ大切な同盟者だ。」
「彼らが肥後を治めることで、大友と島津の間に緩衝地帯が生まれる。」
宗麟は穏やかに笑う。
「何もかも自ら治めることだけが国造りではない。」
「信頼できる者へ任せることもまた、政というものだ。」
少弐は感心したように頷いた。
「なるほど。」
宗麟はさらに南へ視線を移す。
「そして島津。」
指先は薩摩から大隅、さらに日向南部をなぞる。
「島津は薩摩・大隅をまとめ、今は日向へと勢力を伸ばしている。」
「しかし、主力はまだ宮崎南部にある。」
宗麟は豊後との距離を示すように地図を横切った。
「ここから豊後まで兵を送るには距離がある。補給も容易ではない。」
「ゆえに、現時点で島津が豊後へ攻め込んでくる脅威は大きくはない。」
少弐は考え込むように腕を組む。
「ですが、可能性はある。」
宗麟は静かに笑った。
「さすがだ。」
「武将は『今』だけでなく『起こり得ること』にも備えねばならぬ。」
広間は静まり返る。
宗麟は再び熊本を指差した。
「だからこそ、今の九州で最も重要なのはこの肥後なのだ。」
「戦場ではない。」
「外交の戦場だ。」
少弐は顔を上げる。
宗麟は続けた。
「阿蘇氏を誰が支えるか。」
「相良氏がどちらへ傾くか。」
「婚姻、援助、交易、書状……。」
「今、九州では剣よりも使者が忙しく動いておる。」
少弐は静かに息をついた。
「つまり現在の九州は、大友と島津が互いに睨み合いながら、肥後を巡って均衡を保っているのですね。」
「そのとおり。」
宗麟は深く頷く。
「島津も愚かではない。無理な越境はせぬ。」
「我らもまた、無闇に兵を南へ送ることはない。」
「互いに備えながら、外交で均衡を保っている。」
宗麟は最後に九州全土を見渡した。
「ゆえに今、大友が最も望むのは国を富ませることだ。」
「長崎と博多の交易をさらに盛んにし、兵糧を蓄え、船を増やし、いつ戦となっても耐えられる国を築く。」
そう言うと、宗麟は少弐へ穏やかな笑みを向けた。
「だからこそ、小田殿との交易はありがたい。」
「坂東ガレオン十五隻に積まれてくる品々は、大友のみならず九州そのものを潤してくれるだろう。」
少弐は深く頭を下げた。
「氏治様も、西国との争いではなく、交易によって互いが豊かになることを望んでおられます。」
宗麟は満足そうに笑う。
「ならば、小田と大友は良き隣人となれよう。」
東国の新興勢力と、西国の雄。
府内館では、戦ではなく交易と外交によって結ばれた、新たな時代の盟約が静かに形となりつつあった。




