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北辰丸来航

夏の日差しが霞ヶ浦を照らす頃、一隻の見慣れぬ帆船が鹿島港へ姿を現した。


港に集まった者たちは、その船影を見て思わず息を呑む。


船体は坂東ガレオンより細身で、無駄な装飾はほとんどない。


高い船尾楼も抑えられ、風を受けるための帆は大きく、船首は鋭く海を切り裂くような形をしていた。


砲門は少ない。


積まれている大砲も必要最小限。


その代わり、船腹には食料樽や真水樽、測量器具、予備帆、索具が整然と積み込まれていた。


戦うためではない。


走るための船だった。


港へ入った船首には、美しく金文字で船名が刻まれている。


『北辰丸』


鹿島政清は岸壁から船を見上げ、小さく呟いた。


「……これが、大掾殿の。」


隣にいた港奉行も息を呑む。


「ポルトガルから来た船とは聞いておりましたが、まるで別物ですな。」


やがて舷梯が下ろされた。


最初に姿を現したのは、一人の女性だった。


長い栗色の髪を後ろで束ね、濃紺の航海服に身を包み、腰には細身の剣。


日に焼けた肌と真っ直ぐ前を見据える青い瞳は、長い航海を生き抜いた者だけが持つ強さを感じさせた。


女性は堂々と岸壁へ降り立つと、流暢ではないものの、はっきりとした日本語で頭を下げた。


「初めまして。」


「私はポルトガル航海士、マリア・アルヴェス。」


「北辰丸の船長を務めます。」


鹿島は驚きながらも一礼する。


「鹿島政清です。」


「遠路、ようこそ坂東へ。」


マリアは懐から一通の書状を取り出した。


封には大掾幹康の印が押されている。


鹿島が封を切ると、そこには簡潔な文字が並んでいた。


«北辰丸は坂東へ贈る試作探査艦である。»


«私は日本へ帰るまで、その建造を見届けた。»


«船長マリア・アルヴェスは建造当初より本船の試験航海を担当した優秀な航海士である。»


«日本沿岸および外洋航海術の教官として迎えられたい。»


鹿島は静かに読み終え、ゆっくりと書状を畳んだ。


「大掾殿らしい。」


マリアは微笑んだ。


「私は船を造る人ではありません。」


「ですが、この船を誰よりも知っています。」


「ポルトガルから日本まで、この船で来ました。」


「向かい風も、嵐も、赤道の熱も経験しています。」


彼女は振り返り、北辰丸を見上げた。


「この船は戦艦ではありません。」


「世界を知るための船です。」


「速く。」


「遠くへ。」


「そして必ず帰ってくる。」


「それだけを考えて造られました。」


鹿島も船を見上げる。


その姿は巨大な霞丸とは対照的だった。


霞丸が海上工廠であり、海に浮かぶ城ならば、


北辰丸は海原を翔ける一羽の鳥。


未知の海を切り開くために生まれた探査艦である。


マリアは穏やかに笑った。


「大掾殿は言いました。」


『日本は島国だ。』


『海を恐れる国ではなく、海を知る国になれ。』


『そのための最初の一歩が、この北辰丸だ。』


鹿島は大きく頷いた。


「歓迎します、船長。」


「これより北辰丸は坂東水軍の一員です。」


夏の風が帆を鳴らした。


その日、鹿島港へ到着した北辰丸は、単なる一隻の新造船ではなかった。


それは未知の海へ挑む坂東の新しい時代、その象徴となる探査艦の最初の一歩であった。

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